そういや、(ono)さんのブログに叛乱叛乱書いてて思った。

最近、叛乱するのはいいんだが、ちょっとマジになりすぎていた。
いや、目を見てもらえばわかるけど、今でもマジだ。真剣にじゃれ合うテレタビーズたちの遊びシーンぐらいマジだ。

でも、マジ過ぎると、逆に、不真面目というかヤケクソになっちゃうのだ。あまりに思いつめるあまり、怒りをぶちまける以外どうでも良くなったり、興奮しすぎて疲れて燃え尽きたり。

それは良くない。改めて、必要なのは、最後から一歩引いた真剣さだということを知った。

不真面目さや罵り、怒りが本質的な敵ではないことを理解し、愛を実行できる真剣さとは、この領域にしかない。

そこに留まるのは難しい。しかし、一歩引いた世界の大切さを知らなければ、不可能だろう。大切なことは何かを考えながら叛乱だ!
「0x0=0、 1x1=1から、自分自身の2乗になっているような数の実在性が導かれる。するとそこから、数そのものの実在性が導かれるのである。このさりげない一歩により、われわれは初歩の算術から、きわめて論議を呼びそうな驚くべき哲学的結論、すなわち数は実在するという結論へと歩み始めたらしいのだ。こんな難しげな結論があっさり導かれたことに、読者は驚かれたかもしれない」A.W.ムーア

ティモシー・ガウアーズの「数学」って本読んでて出てきた。
いくら掛けても反応しない0。いくら掛けても、方程式の左辺に出てきた数字以上の数字にならない、1の不思議さに対する、興味深い話。

1冊でわかる数学 (1冊でわかる)1冊でわかる数学 (1冊でわかる)
(2004/06)
上野 健爾、ティモシー ガウアーズ 他

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旅子200


以前日記に書いた、Creative TravelSound 200を買った。
所詮、安めのポータブルスピーカー、音量と音はあまり期待できな・・・・どどどどどど・・おぉぉぉおぉ、何だこの音は!

か、かなりいい。
正直、4000円程度のポータブルスピーカーとして期待していた以上だ。音量も申し分なし。

デザインは、まるで80年代のロボットのデザイン。
本体下部にあるラインアウトにピンジャックを指すと、延髄みたいで、まさにアンドロイドの標本みたいだ。なかなかクサいデザイン。

格納性と材質、デザインの点から、上位機種の400と迷ったんだが、これはこれで愛嬌があるね。

警察とモメまくって以来、イライラが募っていた練習がまた楽しくなりました。

今はもうこのモデルは売られてないらしい。後継はこれ

Creative ポータブルスピーカー TravelSound 250 ホワイトモデル TS250-WTCreative ポータブルスピーカー TravelSound 250 ホワイトモデル TS250-WT
(2005/09/29)
不明

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サウンドデモ2006

遅ればせながらここに書こう。やはり、人々が路上で暴れることには意味がある。自浄作用という日本語が理解できない警察機構からわらわらと沸いて出てくる警官、公安、機動隊。こんな超楽しい集団を監視するためにせっせと税金投入。どうしてくれようか。

 先週の土曜の夕方、天神で買い物なり食事なりナンパなり週末を楽しんでいた人は見たかもしれないけど、サウンドデモに参加した。

 今泉のビックカメラのあたりを出発した30人ほどが車から流れる音楽にノリながら叫びまくり、子一時間、移動しながら次々と道路を塞き止めて、国体道路→渡辺通り→明治通り→親不孝通り→西通り→Zサイド前を練り歩きながら警固公園に到着するという無秩序なプログラム。

 あとからビデオで見てみると、よくわからねぇ。どんな集団なのか、何をしたいのか、何を主張したいのか、何をやってるのか。どれも不明瞭極まりない。デモってたときはただ、楽しんでいただけで、周りにどう見えるかなんて考えていなかった。

 しかし、明確なテーマがあった。「路上から憲法を問う」。路上とはどういうところなのか。民主主義社会では特別な意味を持つように見える。単に、あなたが、何らかの目的地に到達するために通過する場所ではない。単に、路上で生活せざるおえなくなった人たちが、明日をも知れぬ生活に脅えながら、それを道行く人たちが見てみぬふりをして通過する場所でもない。単に、食べかけのハンバーガーを捨てる場所でもない。単に、飼い犬の糞を拾うか、見過ごすか悩む場所でもない。人々がどこからともなく集い、語り合い、時には議論をし、不満や問題があれば、人々が結集し(たとえひとりでも)それを訴える場所でもある。市民が力をあわせ、権力に対抗しうるだけの力を持ちうる場である。

 例えば、ファシズム社会では、路上は管理、統制される。ビラを撒こうという人は逮捕され、何かを訴えようとする人たちは監視される。そして人々は、それをあっさりと無視する。たしかに戦前よりはずっとマシだろう。だが、戦前より良ければそれで納得なのか?民主主義社会を制度として保障するものは、民主的な憲法だ。たとえ、少数のアメリカ人と日本人が我々の憲法の原点であるとしても、それを承認したのは国会で、歓迎したのは、凄惨なファシズム社会に打ちひしがれた、我々の祖父母達だ。それは我々の自由と幸福、そして生命を保証するものだからこそ、僕は今でも日本の憲法を歓迎する。だからこそ守るために、路上で憲法を問うのだ。

 途中で気づいたことがある。堂々と僕達にわかるように写真を撮ってたも、堂々と僕達を追っかけたのも、みーーーーーーーーんな西洋人なんだな。当日おびただしい数の人達、すれ違う人ほぼ全員が我々を凝視していた。その数は数千人、もしかしたら万単位かもしれないけど。しかし、途中から、デモに加わったのは、どうやら西洋人の男性一人だけ。しかも、彼はしばらく参加した後、いつの間にか抜けた。彼らは好きなときに、好きな場所で写真を撮り、好きなときに我々に加わり、好きなときに抜ける。我々の目も、周りの目も気にしちゃいない。日本人がいかに衆人の目に抑圧されているかが改めてよくわかった。僕だって、このデモを企画した人たちと知り合いじゃなくて、いきなりデモを街中で目撃していたとしたら、参加したくても、周りの目が気になって出られなかっただろう。

 今回、上述のテーマのほかに、権力や不当な秩序から、路上を開放するというのもテーマの一つだった。路上を開放するということは、いくつかの意味を持つ。路上から我々の憲法を我々の権利を、我々の人間として豊かな生活を訴えるためには、まず、市民の集う場所、路上を開放しないことにはどうしようもない。その上、サウンドデモという行動は、上述のような我々を取り巻く精神的な抑圧からの開放行為でもあると思った。あきらかに、人々は抑圧されている。

 我々は架空の他人を頭の中につくり、どういう反応があるか想像して行動する。かつて、マザーテレサの「神の愛の宣教」ミッションを、日本で行ったシスター・ラニシュという人は、日本人が路上で生活を強いられている人たちに声をかけないことに憤った。「なぜなのか」と問いを発するシスターに、ある人は答えた。「彼らを見ると『多分、好きでやっているんだろう』と思う」、「血を流したりしていれば、警察も呼ぶだろうが、ただ倒れているだけだと、安眠を妨害しちゃいけないとおもうだけ」と。シスターはとにかく声をかけるように訴えるが、その人のその後の反応は鈍かった。自分の頭の中で、相手の視点を想像する行為は、我々日本人にとってはごく当たり前の行為に見える。それは、相手がこうだろうと先回りして考える、いわゆる「おもてなしの心」という形で出ることもあろうが、ちょっと待とう。それは本当に相手のことを考えてなのだろうか?現実の相手とは、あなたが、あなたの経験と知識から生み出された、架空の相手ではなく、あなたとは別の個人なのだ。他人のためというお題目がつくこともあるが、要は、自分の立ち回り方を勝手な想像で決める、まさに自分勝手な行為なのだ。「いらっしゃいませこんにちは」なんて言わされている場合じゃない。

 大切なのは他人の眼ではなく、「今、あなたが何をするのか」が常に問われているということである。
それは、「今、私がこの人に声をかけたら、その人や周りはどう反応するだろう?」、ではなく、「今、私が声をかけなかければ、その人はどうなるのだろう?」という問いでもある。

 イラク戦争の際には、世界中で大規模なデモが起こった。とりわけ、ローマやロンドンのものが規模が大きく、150万人ずつ集まったとされる。

 150万人がお台場にでも集い、何かを主張し始めたら、いったい誰が弾圧できようか。全国の警察人員はおよそ24.5万人。のこらず動員しても一人当たり6人ほど弾圧してまわらないといけない。相手が全員虚弱ならどうにか追い散らしてまわれそうだが、担当した6人の中に長州○でもいたら、目も当てられない。自衛隊が戦車でも引き連れてくれば話は変わってくれるが、G8に入るような国で、戦車が市民に発砲した日には、EUを初め世界中がみんなの味方だ。人口比で言えば、ロンドンやローマで150万人集まったならば、東京でなら5倍はイケそうだ。これなら誰も敵うまい。

 また、近々、福岡でサウンドデモを企む、懲りない連中がいる。次に路上で僕達を見かけたときは、ひそかに写真を撮るだけじゃなくて、堂々と、これ見よがしに写真撮影してくれ。ビデオに撮ってyoutubeにでも流してくれ。
 
 ブレークビーツも流した。是非ブレークダンスやってる人は加わって、路上で凄いワザを披露してくれ。

 我々の奇声に、ぜひとも奇声で返してくれ。楽しそうだと思えば堂々と、我々の列に加わってくれ。入りたいと思ったら、その時が、我々に加わる正しい時だ。趣旨に賛同するなら、是が非でも参加してくれ。路上の奪還行為に賛同できなければ、堂々と反論してくれ。とりあえず今後の予定はここをチェックだ。

 長い文になっちゃった。何人が読んでくれるのかわかんないけど、ここまで読んでくれた人に感謝。ついでにミーのケツを舐め合へ。あとなおさん、写真勝手に使ってます。許して。