ミュンヘンで地下鉄に乗った時、どこかで見覚えのある車両に乗りました。エクステリアデザインといい、インテリアデザインといい福岡市の最新の地下鉄である七隈線の車両にそっくりでした。
そういえば、七隈線車両デザインはドイツに外注したという話を依然どこかで聞いたことがります。おそらく同じデザイン会社の名前が出てくると思い、いつものようにWikiってれば
やっぱりそうでした。
というかデザイナーが一緒でした。
彼の名はアレクサンダー・ノイマイスター。
日立のデザインコンサルタントを永らくやってるというノイマイスターさん。モダンで流線型のデザインの日本の電車はひょっとしてぜんぶこの人の仕事なのでしょうか。
余談ですが、JR西日本が1997年に鳴り物入りで導入した美しい流線型デザインの500形新幹線もこの人のデザインじゃないかと思って調べてみたらやっぱりそうでした。
ボディ側面の絞り込みがきついのが日本の乗客に不評だったのか、乗客数が少ないのが気に入らなかったのか、はたまた維持費が異常にかかったのか、この外来種はカモノハシのようなデザインの国産新幹線たちに駆逐されてしまいましたが。
日本人より体格の大きい傾向にある欧米人が乗ることの多い、またしてもアレクサンダー・ノイマイスターデザインのドイツの新幹線、ICE3も500形ほどではないものの結構側面が絞り込まれているのですが、こちらはまだまだ主力として使われています。そういえば500形とICEも若干似てますね。小田急のロマンスカーは500形以上にこのICE3に似てると思います。
コンセプトはだいぶ違いますが。
僕にとって500形は日本の列車の中でもっとも感動したモデルです。他方から修正を要求されて、デザイナーのセンスが見えてこない日本の工業デザインの中では群を抜いて見えたのです。
ま、それはさておきそれでは福岡市交通局七隈線3000形車両とミュンヘン地下鉄Typ C車両を見比べてみましょう。
七隈線3000形
画像その1と2
画像その3
http://commons.wikimedia.org
ミュンヘン地下鉄Typ C
http://www.muenchnerubahn.de
http://www.muenchnerubahn.de
室内
七隈線3000形
http://ja.wikimedia.org/
ミュンヘン地下鉄Typ C
http://www.muenchnerubahn.de
http://de.wikimedia.org
デザインコンセプトが似てますね。というかノイマイスターさんの会社がデザインを手がけるとみんなこういうデザインになります。ロゴと一緒で特定の意匠をブランドとしているのかもしれません。
僕が乗り比べた限り、ミュンヘン地下鉄のTyp Cのほうが遥かに雰囲気がいいと感じました。
写真では分かりにくいのですが、Typ Cの証明は暗目の黄色がかった色で周りの環境が暗い地下鉄内で乗ると、ちょっとしたおしゃれなレストランのような雰囲気を醸し出します。翻って七隈線の方は、従来の地下鉄よりのような白熱球丸だしの色でない点はいいのですが、Typ Cと比べるといたって普通です。広い窓面積は面白いけど、すぐ慣れて普通になりました。
七隈線の車内もなかなかいいですし、乗り心地は結構好きなのですが(カーペット敷きの床が貢献しているように僕は思います。掃除は大変そうですが)、座り心地も七隈線の方がいいのですが。でも、ほかの部分はTyp Cの方に軍配が上がります。インフラとして地下鉄ネットワーク全体まで見れば福岡は最低ですし。
どちらも運転席前面から骨格を強調して後ろまで一気に流れる線を引くモノフォルムデザインです。こういうデザインの場合、Typ Cのようにドアや窓を周りの骨格と平滑化させて段差を見せなくする方が一貫性をもって見えます。
車にしてもそうですが、日本の製品はドアや窓と周りの段差をつけたがることとあまり側面を立体的に絞り込まれない傾向があるかもしれません。平面的というか凸凹というか。
ほかにも手すりや(車両ではないが)ホームドアなど、明らかに後で日本側で取ってつけたようなもののデザインがあまりよくありません。皮肉にも七隈線よりミュンヘンの地下鉄の方がはるかに混雑するのですが。まぁ、手すりは超満員詰め込み乗車が正常化してしまっている殺人文化ならではの文化遺産なので突っ込んではいけないところですね。失礼いたしました。
駅のデザインの多様さでも、地域公共交通の利便差でも負けてるよ、、、。同じ地下鉄でこうも違うのかと。ドイツで最も裕福な地域の中心都市対大都市とはいえ中央集権国家日本の辺境ににすぎないという重要性の差はあるとはいえ、都市圏人口は福岡の方が多いはずなんだけど、なんというか日本の行政の限界を見ました。
そんなドイツも路面電車になるとフランスやスペインに比べて保守的でへんてこなデザインが多いし、近郊電車になるとお金がかかってるスイスより質が落ちるのがドイツも無敵ではないことを思い出させてくれますが。
参考:
Wikipedia 七隈線3000
Wikipedia ミュンヘン地下鉄Typ C (ドイツ語)
Wikipedia アレクサンダー・ノイマイスター (ドイツ語)
彼の経営するデザイン会社のウェブサイト
そういえば、七隈線車両デザインはドイツに外注したという話を依然どこかで聞いたことがります。おそらく同じデザイン会社の名前が出てくると思い、いつものようにWikiってれば
やっぱりそうでした。
というかデザイナーが一緒でした。
彼の名はアレクサンダー・ノイマイスター。
日立のデザインコンサルタントを永らくやってるというノイマイスターさん。モダンで流線型のデザインの日本の電車はひょっとしてぜんぶこの人の仕事なのでしょうか。
余談ですが、JR西日本が1997年に鳴り物入りで導入した美しい流線型デザインの500形新幹線もこの人のデザインじゃないかと思って調べてみたらやっぱりそうでした。
ボディ側面の絞り込みがきついのが日本の乗客に不評だったのか、乗客数が少ないのが気に入らなかったのか、はたまた維持費が異常にかかったのか、この外来種はカモノハシのようなデザインの国産新幹線たちに駆逐されてしまいましたが。
日本人より体格の大きい傾向にある欧米人が乗ることの多い、またしてもアレクサンダー・ノイマイスターデザインのドイツの新幹線、ICE3も500形ほどではないものの結構側面が絞り込まれているのですが、こちらはまだまだ主力として使われています。そういえば500形とICEも若干似てますね。小田急のロマンスカーは500形以上にこのICE3に似てると思います。
コンセプトはだいぶ違いますが。
僕にとって500形は日本の列車の中でもっとも感動したモデルです。他方から修正を要求されて、デザイナーのセンスが見えてこない日本の工業デザインの中では群を抜いて見えたのです。
ま、それはさておきそれでは福岡市交通局七隈線3000形車両とミュンヘン地下鉄Typ C車両を見比べてみましょう。
七隈線3000形
画像その1と2
画像その3
http://commons.wikimedia.orgミュンヘン地下鉄Typ C
http://www.muenchnerubahn.de
http://www.muenchnerubahn.de室内
七隈線3000形
http://ja.wikimedia.org/ミュンヘン地下鉄Typ C
http://www.muenchnerubahn.de
http://de.wikimedia.orgデザインコンセプトが似てますね。というかノイマイスターさんの会社がデザインを手がけるとみんなこういうデザインになります。ロゴと一緒で特定の意匠をブランドとしているのかもしれません。
僕が乗り比べた限り、ミュンヘン地下鉄のTyp Cのほうが遥かに雰囲気がいいと感じました。
写真では分かりにくいのですが、Typ Cの証明は暗目の黄色がかった色で周りの環境が暗い地下鉄内で乗ると、ちょっとしたおしゃれなレストランのような雰囲気を醸し出します。翻って七隈線の方は、従来の地下鉄よりのような白熱球丸だしの色でない点はいいのですが、Typ Cと比べるといたって普通です。広い窓面積は面白いけど、すぐ慣れて普通になりました。
七隈線の車内もなかなかいいですし、乗り心地は結構好きなのですが(カーペット敷きの床が貢献しているように僕は思います。掃除は大変そうですが)、座り心地も七隈線の方がいいのですが。でも、ほかの部分はTyp Cの方に軍配が上がります。インフラとして地下鉄ネットワーク全体まで見れば福岡は最低ですし。
どちらも運転席前面から骨格を強調して後ろまで一気に流れる線を引くモノフォルムデザインです。こういうデザインの場合、Typ Cのようにドアや窓を周りの骨格と平滑化させて段差を見せなくする方が一貫性をもって見えます。
車にしてもそうですが、日本の製品はドアや窓と周りの段差をつけたがることとあまり側面を立体的に絞り込まれない傾向があるかもしれません。平面的というか凸凹というか。
ほかにも手すりや(車両ではないが)ホームドアなど、明らかに後で日本側で取ってつけたようなもののデザインがあまりよくありません。皮肉にも七隈線よりミュンヘンの地下鉄の方がはるかに混雑するのですが。まぁ、手すりは超満員詰め込み乗車が正常化してしまっている殺人文化ならではの文化遺産なので突っ込んではいけないところですね。失礼いたしました。
駅のデザインの多様さでも、地域公共交通の利便差でも負けてるよ、、、。同じ地下鉄でこうも違うのかと。ドイツで最も裕福な地域の中心都市対大都市とはいえ中央集権国家日本の辺境ににすぎないという重要性の差はあるとはいえ、都市圏人口は福岡の方が多いはずなんだけど、なんというか日本の行政の限界を見ました。
そんなドイツも路面電車になるとフランスやスペインに比べて保守的でへんてこなデザインが多いし、近郊電車になるとお金がかかってるスイスより質が落ちるのがドイツも無敵ではないことを思い出させてくれますが。
参考:
Wikipedia 七隈線3000
Wikipedia ミュンヘン地下鉄Typ C (ドイツ語)
Wikipedia アレクサンダー・ノイマイスター (ドイツ語)
彼の経営するデザイン会社のウェブサイト
“青天井”アウトバーンに速度制限…ドイツで初めて
メルケル一味がSPDの速度制限の要求を拒否しちゃったもんだから、市で独自にってことなんだろうか。地方自治体の力が強い連邦国家ならではの強み、それはそれで歓迎したいのだが。
交通事故を減らすことと、排出ガス削減が主目的となった、現代の交通トレンドから言って当然の流れではあるけど、森の中を一直線にぶち抜く、超良質の路面に車線間の距離も広いドイツのアウトバーンを120km/h規制にすると、ドライバーにかなりのフラストレーションを与えることになる可能性がある。今まで無制限で走ってきた人たちにとっては差が大きすぎるんじゃないか?
せめて元のアウトバーンの推奨速度である130km/hか、イタリアのように高速で走れるよう設計した区間は150km/hにするという話はないのかな。ひょっとしたら自治体で設定できる規制が120km/h以下しかないのかもしれないけど。
速度制限に説得力はあるが、120km/hという数字はどうだろう?120km/hあたりを境に統計的な事故発生率が急激に高まるというのなら説得力がある。ヨーロッパ諸国の制限速度は大体120~130km/hに集中してるので、その可能性はある。もしそうでなければ、車を走らせると事故は、確率的に当然防ぎようがないので、同じ理屈で時速60km/hに、50km/hに・・・と、運転者が反乱を起こすまでいくらでも下げられることになる。ちょっと調べた限りではそれっぽいのが見つからなかったけど。時間があったらじっくり調べてみたい。
速度を下げすぎると、代わりに出てくる問題がある。道路環境に対して相対的に低い速度設定は(特に郊外の道は100km/hで走れるドイツでは)、緊張感のある運転を難しくする。制限速度を下げればその分運転が簡単になる訳で、その分運転に集中することも難しくなる。
アウトバーンに存在する鉄の掟(というか運転規則として設定されてある)、追い越すとき以外追い越し車線は使わない。ポルシェが後ろから猛烈に距離を詰めてきたら(ポルシェ以外でもだけど)、すぐ道を空ける。この高速での安全と流れの良さを確保するためのルールは、制限速度が低くなればある程度曖昧になるかもしれない。
最高速度120km/h、しかも多くの区間が100,90,80と日本並の速度に制限されている隣国オランダでは、何車線あろうと、この追い越し車線の概念はドイツよりかなり曖昧になってる。日本はもっと酷いけど。制限速度が低くなると、車線ごとの走行速度が平均化して追い越しにくくなるというのもある。
アメリカなんかじゃもはや追い越し車線という概念すらないようだし。
交通事故を減らすことと排出ガス削減を削減するということはそれぞれ現代の道路行政の重要な課題だけど、道路状況に応じた、運転手の感覚に対して合理的な速度規制じゃないと、それはそれでまた別の問題を生み出す。交通問題に対応する側としては、規制速度を下げることによって、それを実現したいところだろうけど、一方的に下げすぎると誰も守れない制限速度を、警察の権威によって無理やり守らせようとする、捕まるほうがバカとみんな思ってる日本のような状態になりますぜ。
近い将来、現在既に一部有料化されている国外から来るトラック
アウトバーンについてのアメリカのテレビ放送(残念ながら字幕なし)
その2
メルケル一味がSPDの速度制限の要求を拒否しちゃったもんだから、市で独自にってことなんだろうか。地方自治体の力が強い連邦国家ならではの強み、それはそれで歓迎したいのだが。
交通事故を減らすことと、排出ガス削減が主目的となった、現代の交通トレンドから言って当然の流れではあるけど、森の中を一直線にぶち抜く、超良質の路面に車線間の距離も広いドイツのアウトバーンを120km/h規制にすると、ドライバーにかなりのフラストレーションを与えることになる可能性がある。今まで無制限で走ってきた人たちにとっては差が大きすぎるんじゃないか?
せめて元のアウトバーンの推奨速度である130km/hか、イタリアのように高速で走れるよう設計した区間は150km/hにするという話はないのかな。ひょっとしたら自治体で設定できる規制が120km/h以下しかないのかもしれないけど。
速度制限に説得力はあるが、120km/hという数字はどうだろう?120km/hあたりを境に統計的な事故発生率が急激に高まるというのなら説得力がある。ヨーロッパ諸国の制限速度は大体120~130km/hに集中してるので、その可能性はある。もしそうでなければ、車を走らせると事故は、確率的に当然防ぎようがないので、同じ理屈で時速60km/hに、50km/hに・・・と、運転者が反乱を起こすまでいくらでも下げられることになる。ちょっと調べた限りではそれっぽいのが見つからなかったけど。時間があったらじっくり調べてみたい。
速度を下げすぎると、代わりに出てくる問題がある。道路環境に対して相対的に低い速度設定は(特に郊外の道は100km/hで走れるドイツでは)、緊張感のある運転を難しくする。制限速度を下げればその分運転が簡単になる訳で、その分運転に集中することも難しくなる。
アウトバーンに存在する鉄の掟(というか運転規則として設定されてある)、追い越すとき以外追い越し車線は使わない。ポルシェが後ろから猛烈に距離を詰めてきたら(ポルシェ以外でもだけど)、すぐ道を空ける。この高速での安全と流れの良さを確保するためのルールは、制限速度が低くなればある程度曖昧になるかもしれない。
最高速度120km/h、しかも多くの区間が100,90,80と日本並の速度に制限されている隣国オランダでは、何車線あろうと、この追い越し車線の概念はドイツよりかなり曖昧になってる。日本はもっと酷いけど。制限速度が低くなると、車線ごとの走行速度が平均化して追い越しにくくなるというのもある。
アメリカなんかじゃもはや追い越し車線という概念すらないようだし。
交通事故を減らすことと排出ガス削減を削減するということはそれぞれ現代の道路行政の重要な課題だけど、道路状況に応じた、運転手の感覚に対して合理的な速度規制じゃないと、それはそれでまた別の問題を生み出す。交通問題に対応する側としては、規制速度を下げることによって、それを実現したいところだろうけど、一方的に下げすぎると誰も守れない制限速度を、警察の権威によって無理やり守らせようとする、捕まるほうがバカとみんな思ってる日本のような状態になりますぜ。
近い将来、現在既に一部有料化されている国外から来るトラック
アウトバーンについてのアメリカのテレビ放送(残念ながら字幕なし)
その2
誰もが言うが、誰も変えられないというクソが日本には多数存在する。
諦めるが勝ちといわんばかりの社会。
そのひとつに交通行政がある。
運転者は歩行者や自転車通行者をないがしろにし、歩行者は車に敵意を向ける。
当たり前だ、現代人の生活の基本である都市と道路がこれだけぐちゃぐちゃに開発されていたら。
公共交通機関は公共交通機関で、余裕のない都市計画の煽りを受ける形で、新たな路線の拡充や混雑解消対策もまともに行えない。各公共交通機関の管理主体ごとにばらばらでほとんど統一されておらず、同じ都市をJRと私鉄、バス会社などがいがみ合って競合したり非協力的だったりする始末。その結果、利用者が不便な接続と高い運賃を払わされる。都市の中心部を路面電車を積極的に使って
公共交通機関利用者主体の空間を設計仕様と思っても、道路の王者警察が専断的に取り仕切っている以上、富山市程度のLRT計画を進めるのにも紆余曲折の連続。
歩行者、運転者、自転車通行者、とその道路と生活が関わっている人すべてに対して交通行政は責任を負っている。公共交通機関も同じく・・・のはずだが、責任を負う対象は上司とお金くれる人とクレームつけてくる人にだけだろう?
今、交通事故と死者の件数を減らすために歩行者保護政策が進められている。
ここでは、道路と生活が関わっている人たちにとって最良の交通行政を行うなんていう意図はなく、我々歩行者はただ、目標達成の数値でしかない。首相がタウンミーティングを施すような民主主義国家日本、行政側が自分たちのその場その場の都合で高圧的にやっちゃうだけだから。実際そこで道路使う人たちにとって良いものが出来上がるんじゃなくて、単に死傷者の少ない、事故の少ないスペックだけ満たされた空間が誕生する。相変わらず運転者は理不尽な警察の取り締まりに恐怖し、歩行者は理不尽な交通行政に苛まされ、イライラしている運転者と敵対する。
このむちゃくちゃな道路行政(どころか日本の人々の生活を無視するお粗末な行政)の原因を取り除かない限り、つまりそのような行政を可能にした組織構造を解体しない限り、いつまでもこの繰り返しだろう。やりやすいところをちょこちょこ変えておしまい。
結論はまずは何やってもムダという諦めムードをばら撒く政府いらね、ってことなんですけどね。
社会を自ら絶望的なものにしといて、社会から背を向ける今の若者が・・・とか言われるんだからたまんない。マネーゲームして大金稼いだもの勝ちの資本主義社会という事実をあえて隠して、最近勤勉に働いてつつましく生きるという価値観がないがしろにされ・・・とかのたまうんだからこれまたたまらない。自ら最強の奴が勝者という社会にして世紀末覇王伝説煽ってるでしょうが。
こんなのや
バスが路面電車や地下鉄になったり、路面電車が地下鉄になったりするこんなのや
こんな路註できる道路整備は土地に余裕のない日本こそあるべきなのに
諦めるが勝ちといわんばかりの社会。
そのひとつに交通行政がある。
運転者は歩行者や自転車通行者をないがしろにし、歩行者は車に敵意を向ける。
当たり前だ、現代人の生活の基本である都市と道路がこれだけぐちゃぐちゃに開発されていたら。
公共交通機関は公共交通機関で、余裕のない都市計画の煽りを受ける形で、新たな路線の拡充や混雑解消対策もまともに行えない。各公共交通機関の管理主体ごとにばらばらでほとんど統一されておらず、同じ都市をJRと私鉄、バス会社などがいがみ合って競合したり非協力的だったりする始末。その結果、利用者が不便な接続と高い運賃を払わされる。都市の中心部を路面電車を積極的に使って
公共交通機関利用者主体の空間を設計仕様と思っても、道路の王者警察が専断的に取り仕切っている以上、富山市程度のLRT計画を進めるのにも紆余曲折の連続。
歩行者、運転者、自転車通行者、とその道路と生活が関わっている人すべてに対して交通行政は責任を負っている。公共交通機関も同じく・・・のはずだが、責任を負う対象は上司とお金くれる人とクレームつけてくる人にだけだろう?
今、交通事故と死者の件数を減らすために歩行者保護政策が進められている。
ここでは、道路と生活が関わっている人たちにとって最良の交通行政を行うなんていう意図はなく、我々歩行者はただ、目標達成の数値でしかない。首相がタウンミーティングを施すような民主主義国家日本、行政側が自分たちのその場その場の都合で高圧的にやっちゃうだけだから。実際そこで道路使う人たちにとって良いものが出来上がるんじゃなくて、単に死傷者の少ない、事故の少ないスペックだけ満たされた空間が誕生する。相変わらず運転者は理不尽な警察の取り締まりに恐怖し、歩行者は理不尽な交通行政に苛まされ、イライラしている運転者と敵対する。
このむちゃくちゃな道路行政(どころか日本の人々の生活を無視するお粗末な行政)の原因を取り除かない限り、つまりそのような行政を可能にした組織構造を解体しない限り、いつまでもこの繰り返しだろう。やりやすいところをちょこちょこ変えておしまい。
結論はまずは何やってもムダという諦めムードをばら撒く政府いらね、ってことなんですけどね。
社会を自ら絶望的なものにしといて、社会から背を向ける今の若者が・・・とか言われるんだからたまんない。マネーゲームして大金稼いだもの勝ちの資本主義社会という事実をあえて隠して、最近勤勉に働いてつつましく生きるという価値観がないがしろにされ・・・とかのたまうんだからこれまたたまらない。自ら最強の奴が勝者という社会にして世紀末覇王伝説煽ってるでしょうが。
こんなのや
バスが路面電車や地下鉄になったり、路面電車が地下鉄になったりするこんなのや
こんな路註できる道路整備は土地に余裕のない日本こそあるべきなのに
公安やはたまた自衛隊にも監視され放題な日本国民。しまいには、政府の人間から監視してなにが悪いと居直られる、まるでDVに悩まされる家庭状態の日本。
生活保護申請者は違法の窓口での門前払いをくらい、権利を主張すれば「まず義務を果たせ」と、解決の糸口も見えぬ袋小路へと追い込まれる。
理不尽な交通行政が生む、事故の起きやすい道路造っといて(計画したのは国交省だが)、その上誰も守れない理不尽な交通ルールを押し付けといて 8,000万を超える運転者を日常的に潜在的な犯罪者、良くても違反者の恐怖に落としいれ人々を怖がらせている警察。予算の多くをつぎ込んで交通安全への必死だが、方向を間違えた取り組みに誰も文句をいえない警察独裁。
多数の同意が得られて、翼賛体制ができるとわかれば、飲酒運転撲滅キャンペーン。
某市長が「これ以上どうやれば飲酒運転を根絶できるのか」と弱音を吐く始末。
馬鹿もん。
大和魂秘めたる日本男児(もちろん今日では女児も)の無限の精神力を持ってすれば、根絶必ず成就されん。根絶できぬはお前の精神力不足じゃ。
そこに直れ、精神注入でまずはお前の腐った根性を根絶してくれるわ!・・・と言わんばかりのスローガンの大連呼にステッカーの乱発。
もうね、開いた口がふさがりませんよ。
人々の生活をますます不安定なものにして脅かして(terrify)いるのは誰だ。
相手がウイルスならともかく、一応意思を持つ人間を相手に根絶なぞそもそも無理でしょうが(いや、ウイルスすらも後で耐性つけて反撃してきますが)。
根絶に近づけたいなら、今や人権のじの字もたんなるお題目となりつつある日本では、もう戦闘ファッショと化す以外方法はあるのか?
そもそも飲酒より何よりまずもってやることがあるでしょう。事実上市民によるコントロール不可能な警察組織の解体、再構築とか。
人々の安全と(既得権益)を脅かすのがテロリストの定義ならば、僕には日 本 政 府こそがアルカイダにしか見えないのですが。
そういやアルカイダと面識のあると勘違いされた閣僚がいましたな。
まただ、金槌を持って来い。
こりゃ御上の日本語の間違いを直すのに金槌百万本は必要だな。
誰も文句を言えない一例
生活保護申請者は違法の窓口での門前払いをくらい、権利を主張すれば「まず義務を果たせ」と、解決の糸口も見えぬ袋小路へと追い込まれる。
理不尽な交通行政が生む、事故の起きやすい道路造っといて(計画したのは国交省だが)、その上誰も守れない理不尽な交通ルールを押し付けといて 8,000万を超える運転者を日常的に潜在的な犯罪者、良くても違反者の恐怖に落としいれ人々を怖がらせている警察。予算の多くをつぎ込んで交通安全への必死だが、方向を間違えた取り組みに誰も文句をいえない警察独裁。
多数の同意が得られて、翼賛体制ができるとわかれば、飲酒運転撲滅キャンペーン。
某市長が「これ以上どうやれば飲酒運転を根絶できるのか」と弱音を吐く始末。
馬鹿もん。
大和魂秘めたる日本男児(もちろん今日では女児も)の無限の精神力を持ってすれば、根絶必ず成就されん。根絶できぬはお前の精神力不足じゃ。
そこに直れ、精神注入でまずはお前の腐った根性を根絶してくれるわ!・・・と言わんばかりのスローガンの大連呼にステッカーの乱発。
もうね、開いた口がふさがりませんよ。
人々の生活をますます不安定なものにして脅かして(terrify)いるのは誰だ。
相手がウイルスならともかく、一応意思を持つ人間を相手に根絶なぞそもそも無理でしょうが(いや、ウイルスすらも後で耐性つけて反撃してきますが)。
根絶に近づけたいなら、今や人権のじの字もたんなるお題目となりつつある日本では、もう戦闘ファッショと化す以外方法はあるのか?
そもそも飲酒より何よりまずもってやることがあるでしょう。事実上市民によるコントロール不可能な警察組織の解体、再構築とか。
人々の安全と(既得権益)を脅かすのがテロリストの定義ならば、僕には日 本 政 府こそがアルカイダにしか見えないのですが。
そういやアルカイダと面識のあると勘違いされた閣僚がいましたな。
まただ、金槌を持って来い。
こりゃ御上の日本語の間違いを直すのに金槌百万本は必要だな。
誰も文句を言えない一例
さて、現在ドイツではドイツ鉄道が地球温暖化騒ぎを受けて大量の広告に紙を消費して、「温暖化抑止のために鉄道に乗ろうと」宣伝して回ってます。
最近になって、同社のウェブサイトで列車の乗り継ぎを調べると、時刻や経由地などといったおなじみの情報のほかに、列車、車、飛行機で同区間を移動した場合の環境負荷を比較できる「UmweltMobiCheck」なる項目が加わりました。

これが話題の二酸化炭素のほかに資源消費、微粒子、燃料消費、亜酸化窒素排出量、二酸化硫黄、炭化水素排出量の差を全部グラフで出してくれると言う優れもの。
いやぁ素晴らしい。
出来れば素晴らしい高速道路や、富の一極集中の象徴である立派な空港、一直線に山々をトンネルでぶち抜く新幹線用新線建設の段階からの環境負荷まで全部計算して欲しいものです(一応建設段階の負荷は織り込み済みのようです。どこまで?)。
いや、環境負荷だけでは生ぬるい。
更にはこのインフラのために消費された、これから消費される資源や、その資源を所有者たちや、そこの利権に群がる企業や個人が生み出す富の格差が与える自国だけでなく、他国の環境や社会への負荷まで計算してくれたら、なお公共の利益に貢献できると言うもの。ドイツ鉄道様は、温暖化抑止に貢献したいという公共性にあふれる気持ちでいっぱいなのででしょうから、世の経済的不公平を正すと言う公共性も当然持っていらっしゃるのでしょう。
せっかく日本より真面目に公共交通機関としての鉄道を運営する気があるんですから、これを機会に環境負荷だけじゃなくて社会的負荷まで全部グラフに表して世直ししましょうよ。
最近になって、同社のウェブサイトで列車の乗り継ぎを調べると、時刻や経由地などといったおなじみの情報のほかに、列車、車、飛行機で同区間を移動した場合の環境負荷を比較できる「UmweltMobiCheck」なる項目が加わりました。

これが話題の二酸化炭素のほかに資源消費、微粒子、燃料消費、亜酸化窒素排出量、二酸化硫黄、炭化水素排出量の差を全部グラフで出してくれると言う優れもの。
いやぁ素晴らしい。
出来れば素晴らしい高速道路や、富の一極集中の象徴である立派な空港、一直線に山々をトンネルでぶち抜く新幹線用新線建設の段階からの環境負荷まで全部計算して欲しいものです(一応建設段階の負荷は織り込み済みのようです。どこまで?)。
いや、環境負荷だけでは生ぬるい。
更にはこのインフラのために消費された、これから消費される資源や、その資源を所有者たちや、そこの利権に群がる企業や個人が生み出す富の格差が与える自国だけでなく、他国の環境や社会への負荷まで計算してくれたら、なお公共の利益に貢献できると言うもの。ドイツ鉄道様は、温暖化抑止に貢献したいという公共性にあふれる気持ちでいっぱいなのででしょうから、世の経済的不公平を正すと言う公共性も当然持っていらっしゃるのでしょう。
せっかく日本より真面目に公共交通機関としての鉄道を運営する気があるんですから、これを機会に環境負荷だけじゃなくて社会的負荷まで全部グラフに表して世直ししましょうよ。

