それと時期が偶然重なったんだけど、今日、この前の日記にも書いたADHDのための学校に再び行ってきた。なんというか、僕の状況で何の公的支援も受けられないということにすごく同情された。日本ではリタリンの処方は出来ず、代用薬も子供だけで、大人には処方禁止だと言う話を興味深く聞いてた。「それじゃ、大人の非合法薬物の乱用を促進するんじゃない?」って聞かれたけど、僕にはわからない。仮にそうだとしても、日本がオランダのような柔軟な政策取れるわけがない、勝手に押し付けて秩序が保たれてキャッキャっキャッキャ言ってる不自由な社会なんだから。
話し合いの中で途中で退屈になってじっとしていられなくなったんで、学校を観て回っていたら、この学校、ADHDの支援学校だけに芸術方面に力点が置かれているせいなのか、ドイツじゃ普通の学校でもそうなのかわからないけど、そこら中に生徒や地元のアーティストの絵や作品がいっぱい置いてある。
どれも結構うまいんだけど、やっぱ絵を観るかぎり、僕には絵心がねぇなということを痛感した。逆にADHDに割と多い識字障害、筆記障害はないか弱い、それどころか漢字とか文字を読んだり書いたりするのは、平均よりかなり早い段階で発達した記憶がある。やっぱ、僕の表現は芸術的な物でなく、文学的な方向で伸ばされるべきなのかな、と思った。ただ、やっぱ僕の書く文章は文章でなんかおかしいんだが、良く分からないが、語法上のおかしさがある。芸術と文学ってなんか非対称的な語法も我慢がならん。
僕がそうして席を離れると、そこで働いている、自身もADHDと識字・筆記障害を抱えると言う、50歳の人が追いかけてきて、「じっとしていられないんで、出たんだろう?」と聞かれた。さすが良く分かってらっしゃる。そういう時にはこうするといいよと彼に誘われて、一緒に道路と学校の間の通路を行ったり来たりしながら話をした。
今日は、語学学校の秋季授業の初日だったんだけど(信じられない事だが、今回から上級コースだ)、そこで僕がどれだけ疲れたかを話す。自分でも信じられないぐらい疲れたらしく、支援学校に向かう電車の中で耐えられず居眠りをしてしまったほどだ。授業中も初日で既にマイクロスリープを連発してしまった。初日は興味と目新しさで緊張感がより長く続く日なのに。それほどの好条件でも、集中力が持続するのは最大で1時間と少々なことが判明。
それを聞いた彼は、授業を乗り切るADHDのための3つのコツを教えてくれたが、どれも僕が既に何度も実践してうまく行かないものばかりだった。やっぱり僕は、ADHDでも他の人たちと何かが違うと思う。なんというか道が塞がっているというか、コツがうまく当てはまらない以上どうしようもない。
明日のADHDの大人の会合に誘われたんだけど、明日は外せない予定が入ってる。客観的にADHDがどう見えるのかすごく興味があるだけに残念。しょうがないけど2週間後の会合に出ることにした。
しかし、こういう支援学校が私立で、高い費用がかかるというのにはやはりヘドが出る。僕達が生きている世界は、まさに地獄の沙汰も金次第という現実をオブラートに包んだ社会にすぎないということが屈折して現れていることに吐き気を覚えているんだろう。ああ、これなんだ、僕がドイツでそこら中で見かける明らかにアフリカの子供の顔を貼り付けて、Brot für die Welt(世界にパンを)っていう看板にいたずらをしたくなる理由の一つは。絶対に何かが間違っている。いや、腐って腐臭がしている。
話し合いの中で途中で退屈になってじっとしていられなくなったんで、学校を観て回っていたら、この学校、ADHDの支援学校だけに芸術方面に力点が置かれているせいなのか、ドイツじゃ普通の学校でもそうなのかわからないけど、そこら中に生徒や地元のアーティストの絵や作品がいっぱい置いてある。
どれも結構うまいんだけど、やっぱ絵を観るかぎり、僕には絵心がねぇなということを痛感した。逆にADHDに割と多い識字障害、筆記障害はないか弱い、それどころか漢字とか文字を読んだり書いたりするのは、平均よりかなり早い段階で発達した記憶がある。やっぱ、僕の表現は芸術的な物でなく、文学的な方向で伸ばされるべきなのかな、と思った。ただ、やっぱ僕の書く文章は文章でなんかおかしいんだが、良く分からないが、語法上のおかしさがある。芸術と文学ってなんか非対称的な語法も我慢がならん。
僕がそうして席を離れると、そこで働いている、自身もADHDと識字・筆記障害を抱えると言う、50歳の人が追いかけてきて、「じっとしていられないんで、出たんだろう?」と聞かれた。さすが良く分かってらっしゃる。そういう時にはこうするといいよと彼に誘われて、一緒に道路と学校の間の通路を行ったり来たりしながら話をした。
今日は、語学学校の秋季授業の初日だったんだけど(信じられない事だが、今回から上級コースだ)、そこで僕がどれだけ疲れたかを話す。自分でも信じられないぐらい疲れたらしく、支援学校に向かう電車の中で耐えられず居眠りをしてしまったほどだ。授業中も初日で既にマイクロスリープを連発してしまった。初日は興味と目新しさで緊張感がより長く続く日なのに。それほどの好条件でも、集中力が持続するのは最大で1時間と少々なことが判明。
それを聞いた彼は、授業を乗り切るADHDのための3つのコツを教えてくれたが、どれも僕が既に何度も実践してうまく行かないものばかりだった。やっぱり僕は、ADHDでも他の人たちと何かが違うと思う。なんというか道が塞がっているというか、コツがうまく当てはまらない以上どうしようもない。
明日のADHDの大人の会合に誘われたんだけど、明日は外せない予定が入ってる。客観的にADHDがどう見えるのかすごく興味があるだけに残念。しょうがないけど2週間後の会合に出ることにした。
しかし、こういう支援学校が私立で、高い費用がかかるというのにはやはりヘドが出る。僕達が生きている世界は、まさに地獄の沙汰も金次第という現実をオブラートに包んだ社会にすぎないということが屈折して現れていることに吐き気を覚えているんだろう。ああ、これなんだ、僕がドイツでそこら中で見かける明らかにアフリカの子供の顔を貼り付けて、Brot für die Welt(世界にパンを)っていう看板にいたずらをしたくなる理由の一つは。絶対に何かが間違っている。いや、腐って腐臭がしている。
前回の日記にコメントとして書こうと思ったけど長くなるので新たに日記で書こうと思う今日この頃。ドイツは今週中盤ごろから夏の終わりを実感する気候になってきましたが、ヒートアイランド超大国日本の気候はいかがでしょうかっていうのは嫌味でしょうか。でもこう書きたくなるほど、日本という社会の糞ぶりに腹がたってしょうがない今日この頃でもあるのですふじこ。
まぁ、それはそれとして、最近某の不注意の最たるもの、忘れ物癖を観察していて気がついたことがあるのです。物を壊してしまう癖も以下と基本原理はおそらく同じでしょう。毎年このふたつのおかげで10万円以上の金銭的損害を出し、何十時間という時間を後始末に費やしているのでしょうね。去年も分かっているだけで10万超えてますな。
習慣として固着していないものなんですよね、主に忘れるのは、あるいは壊してしまうのは。財布なんかは例えば既に習慣として注意することが確立しているから普段は忘れることがないのですが。
特徴として、固着するまでに異様に時間がかかることと、優先度の特に高いもの以外への注意不足と家の猫への愛情不足が挙げられます。例えば出かけるとき、大抵は財布、水、バッグ(水を携帯していないと不安なのでバッグは忘れなくなった)、iPodに優先度1、2(2に付随して3も)、4が与えられている。その下に家の鍵やら携帯なんかが与えられている。なぜ鍵の優先度、しかもなくしたら何万もかかる鍵がこんなに低いんだと言われてもしりません。それ以上優先度が上げる方法がわからないんですから。実際鍵と携帯はよく持ってで忘れます。外に出てからは鍵と携帯には、僕が囚われる不安に敬意を払って注意しているのですが、それでも忘れます。特に以下に記述するパターンの中であっさりなくします。
このパターンが成立している中に割り込みが入る場合、例えば急な旅行となった場合なんかは当然持ち歩かなければ”ならない”重要なものがこの優先順位に割り込んできます。着替えとか洗面用具とかコンドームとか。同時にそういう非日常的なイベントという刺激に感情が動かされるというのも、日常的な事柄に対する注意不足を引き起こす重要な立役者です。そのようなパターンの中では優先順位の低いものをかなりの確率で忘れる。同時に定着していないが持っていくべきものも大抵いくつか忘れる、例えば寝袋とか親の愛。
またパターンの確立はしていないけれども、超重要だと認識しているもの、例えば航空券なんかは最初の時間的余裕がある内は比較的厳重な管理の元に置かれますが、時間とともに必要以上に注意が言ってバッグから取り出してみたりした隙に無くなるか、取り出す必要がある際に、その後の管理をすっかり忘れていずれ無くなる運命にあります。航空券が不要になるのが先か、僕の長州小力よりパチもんくさい集中力の隙ができるのが先かという確率的な話になります。
これを防ぐために何度も確認するというパターンが定着していて、これは確かに効果がそこそこあるのですが、それでも忘れる忘れる。
そのようなパターンを持っていると明らかに分かる人物をこの前見かけました。
心の友オランダに日帰り旅行した帰り、オランダから僕を家のすぐ近くまで運んでくれる直行電車で移動中の出来事なのですが、この電車は今時途中の駅でスイッチバック(進行方向と逆側に出発するため、先頭の気動車を切り離し、別の気動車を車両後端に連結する作業を行う)をするため10分も停車します。乗客はホームでダベる、タバコを吸う、サッカーチームの応援歌を歌い出すほどの待ち時間です。
ある男性が僕の対面に座りました。年齢は30台後半から40台前半と言ったところでしょうか。
服装はシャツも綺麗でアイロンも掛けてあって、靴などもそれなりのもので手入れもされていてだらしなさなど見当たらないのですが、なぜかジャケットと、服を買ったときなどにもらえる比較的上等なビニールの買い物袋をぐちゃぐちゃなまま持ち歩き、そして自分の横のシートの上に置いたのですが、なぜかその置かれ方というか、どうしようもなく無造作で散らかって見えるのは他人事には思えませんでした。
彼は、僕以上に酷いチックとそわそわ感を持って10分を待ちます。そして時々、大体10-30秒ほどの間隔で、両手で顔の汗を拭き取る動作をするのですが(この日はエアコンの効いていない電車に乗ると若干汗ばむぐらいの気候でしたから)、その後必ず膝上まで下ろした両手のひらをごしごしこする動作をするのです。
ここまでなら、ただ単に自分のチックと自分の体内に宿る形容しがたい不快感の関連から、彼の人生がどのようなものかを想像するだけだったんでしょうが、電車が出発する1分ほど前に、彼は僕的には見逃すことのできない存在だということが判明します。
彼は突然座席を立ち上がったと思ったら、どこかに去っていきました。
僕がその立ち上がり方に衝動性や他動性の特徴を見出したかは記憶にないのですが、とにかく去っていきました。例の無造作に置かれた荷物は相変わらず僕の目の前にあるので、おそらくトイレに行ったか、別の空き座席を見に行ったか、乗車口付近にある路線図を見に行ったか、あるいはじっとしていられなくなってどこかに行ってしまったのだろうと思いました。
一分ぐらいたって彼は焦った表情で戻って来ました。ジャケットとビニール袋を忘れたことに気がついて取りに戻ったのです。そしてそれらを掴んだ彼は今度は先ほど去って言った方向とは逆方向に向かいます。
一歩進んだところで、彼はこちらを向き直します。
僕以外誰もやっているのを見たことがないほど入念に、というか食い入るように自分の座っていた場所をチェックするのです。ええ、何か忘れていないかどうかを。
このチェックする彼から受ける特別な印象は、実際見ていない人には理解しがたいでしょうが。
この様な入念なチェックから、彼が恒常的に忘れ物をしていること、故にチェックを僕と同じように行動パターンに定着させたこと、その大げさなチェックは自分の忘れぐせにかなりの不安、そして脅迫的にチェックをしている可能性を読み取ることができます。
そして、電車を大急ぎで降りました。思うに電車を乗り間違えたんだと思います。あるいは、10分の間だけ電車内で寛ごうと計画したのでしょうか。そのような慌しい計画をする人間を僕は他に一人だけ知っていて、毎日鏡で対面していますが。
いろいろなことが引っかかる人でした。というかまるで反射率0%の鏡を眺めているようでした。
何が言いたいかというと彼を嘲笑したいわけじゃなくて、あー、僕って他人から見るとこう見えるのかと思いながら見てたということなんです。僕が僕自身に関して知るかぎりでは、彼は僕より酷いように見えましたが、いずれにせよ思ったこと…
あぁ、僕と同じだよ。そしてこれらの特徴はスイッチバックする電車と同じように不便だよ、と。田舎と同じで不便に追いやられていることを明らかにし、田舎は田舎なりに可能な快適さ、便利さを得る権利があることを声を大にして怒り狂いたい。彼が辛いかどうかは知らないけど、僕は辛い。彼の人生はそれでも幸せであることを祈るが、僕は不幸だ。
まぁ、それはそれとして、最近某の不注意の最たるもの、忘れ物癖を観察していて気がついたことがあるのです。物を壊してしまう癖も以下と基本原理はおそらく同じでしょう。毎年このふたつのおかげで10万円以上の金銭的損害を出し、何十時間という時間を後始末に費やしているのでしょうね。去年も分かっているだけで10万超えてますな。
習慣として固着していないものなんですよね、主に忘れるのは、あるいは壊してしまうのは。財布なんかは例えば既に習慣として注意することが確立しているから普段は忘れることがないのですが。
特徴として、固着するまでに異様に時間がかかることと、優先度の特に高いもの以外への注意不足と家の猫への愛情不足が挙げられます。例えば出かけるとき、大抵は財布、水、バッグ(水を携帯していないと不安なのでバッグは忘れなくなった)、iPodに優先度1、2(2に付随して3も)、4が与えられている。その下に家の鍵やら携帯なんかが与えられている。なぜ鍵の優先度、しかもなくしたら何万もかかる鍵がこんなに低いんだと言われてもしりません。それ以上優先度が上げる方法がわからないんですから。実際鍵と携帯はよく持ってで忘れます。外に出てからは鍵と携帯には、僕が囚われる不安に敬意を払って注意しているのですが、それでも忘れます。特に以下に記述するパターンの中であっさりなくします。
このパターンが成立している中に割り込みが入る場合、例えば急な旅行となった場合なんかは当然持ち歩かなければ”ならない”重要なものがこの優先順位に割り込んできます。着替えとか洗面用具とかコンドームとか。同時にそういう非日常的なイベントという刺激に感情が動かされるというのも、日常的な事柄に対する注意不足を引き起こす重要な立役者です。そのようなパターンの中では優先順位の低いものをかなりの確率で忘れる。同時に定着していないが持っていくべきものも大抵いくつか忘れる、例えば寝袋とか親の愛。
またパターンの確立はしていないけれども、超重要だと認識しているもの、例えば航空券なんかは最初の時間的余裕がある内は比較的厳重な管理の元に置かれますが、時間とともに必要以上に注意が言ってバッグから取り出してみたりした隙に無くなるか、取り出す必要がある際に、その後の管理をすっかり忘れていずれ無くなる運命にあります。航空券が不要になるのが先か、僕の長州小力よりパチもんくさい集中力の隙ができるのが先かという確率的な話になります。
これを防ぐために何度も確認するというパターンが定着していて、これは確かに効果がそこそこあるのですが、それでも忘れる忘れる。
そのようなパターンを持っていると明らかに分かる人物をこの前見かけました。
心の友オランダに日帰り旅行した帰り、オランダから僕を家のすぐ近くまで運んでくれる直行電車で移動中の出来事なのですが、この電車は今時途中の駅でスイッチバック(進行方向と逆側に出発するため、先頭の気動車を切り離し、別の気動車を車両後端に連結する作業を行う)をするため10分も停車します。乗客はホームでダベる、タバコを吸う、サッカーチームの応援歌を歌い出すほどの待ち時間です。
ある男性が僕の対面に座りました。年齢は30台後半から40台前半と言ったところでしょうか。
服装はシャツも綺麗でアイロンも掛けてあって、靴などもそれなりのもので手入れもされていてだらしなさなど見当たらないのですが、なぜかジャケットと、服を買ったときなどにもらえる比較的上等なビニールの買い物袋をぐちゃぐちゃなまま持ち歩き、そして自分の横のシートの上に置いたのですが、なぜかその置かれ方というか、どうしようもなく無造作で散らかって見えるのは他人事には思えませんでした。
彼は、僕以上に酷いチックとそわそわ感を持って10分を待ちます。そして時々、大体10-30秒ほどの間隔で、両手で顔の汗を拭き取る動作をするのですが(この日はエアコンの効いていない電車に乗ると若干汗ばむぐらいの気候でしたから)、その後必ず膝上まで下ろした両手のひらをごしごしこする動作をするのです。
ここまでなら、ただ単に自分のチックと自分の体内に宿る形容しがたい不快感の関連から、彼の人生がどのようなものかを想像するだけだったんでしょうが、電車が出発する1分ほど前に、彼は僕的には見逃すことのできない存在だということが判明します。
彼は突然座席を立ち上がったと思ったら、どこかに去っていきました。
僕がその立ち上がり方に衝動性や他動性の特徴を見出したかは記憶にないのですが、とにかく去っていきました。例の無造作に置かれた荷物は相変わらず僕の目の前にあるので、おそらくトイレに行ったか、別の空き座席を見に行ったか、乗車口付近にある路線図を見に行ったか、あるいはじっとしていられなくなってどこかに行ってしまったのだろうと思いました。
一分ぐらいたって彼は焦った表情で戻って来ました。ジャケットとビニール袋を忘れたことに気がついて取りに戻ったのです。そしてそれらを掴んだ彼は今度は先ほど去って言った方向とは逆方向に向かいます。
一歩進んだところで、彼はこちらを向き直します。
僕以外誰もやっているのを見たことがないほど入念に、というか食い入るように自分の座っていた場所をチェックするのです。ええ、何か忘れていないかどうかを。
このチェックする彼から受ける特別な印象は、実際見ていない人には理解しがたいでしょうが。
この様な入念なチェックから、彼が恒常的に忘れ物をしていること、故にチェックを僕と同じように行動パターンに定着させたこと、その大げさなチェックは自分の忘れぐせにかなりの不安、そして脅迫的にチェックをしている可能性を読み取ることができます。
そして、電車を大急ぎで降りました。思うに電車を乗り間違えたんだと思います。あるいは、10分の間だけ電車内で寛ごうと計画したのでしょうか。そのような慌しい計画をする人間を僕は他に一人だけ知っていて、毎日鏡で対面していますが。
いろいろなことが引っかかる人でした。というかまるで反射率0%の鏡を眺めているようでした。
何が言いたいかというと彼を嘲笑したいわけじゃなくて、あー、僕って他人から見るとこう見えるのかと思いながら見てたということなんです。僕が僕自身に関して知るかぎりでは、彼は僕より酷いように見えましたが、いずれにせよ思ったこと…
あぁ、僕と同じだよ。そしてこれらの特徴はスイッチバックする電車と同じように不便だよ、と。田舎と同じで不便に追いやられていることを明らかにし、田舎は田舎なりに可能な快適さ、便利さを得る権利があることを声を大にして怒り狂いたい。彼が辛いかどうかは知らないけど、僕は辛い。彼の人生はそれでも幸せであることを祈るが、僕は不幸だ。
しかしワスは踊りたがりのくせにダンスの才能がないことをつくずく思い知らされる。いままでより複雑なレベルに差し掛かるといつもそこで留まっちゃうんだ。何もダンスに限らないことなんだけど。なんかやる前から挫けちゃうというかなんというか。例えば動きAと動きBを練習するという第一段階から、動きA と動きBを続けて行うコンビネーションの練習という段階にいつまでたっても気が向かなかったり。好きこそ物の上手なれって、あれは相対的な話だったんだな。好きでも上手にならないことはある。
今まで好きなら誰よりもうまくなれるもんだと思ってたよ。
冷静に考えたら、上にいけばいくほど好きな奴ばっかりが残っていくんだから、重要なのは時間と効率だよな。極端に言えば練習および教育プログラム次第。個人の能力でいえば、それを妨げる能力を持っていればすべて基本的にマイナス要因。なんか考え方がどんどんオリンピックの選手育てるのと同じようになっていくなぁ。
今もまたそういう一歩複雑というか上のレベルへ入りかかってるところ。例によって集中して練習できないからそこで挫折してしまいかねない。ここ2 週間ほどの練習が山場だな。ここを乗り越えられなかったらもう一生ダメだろうし、今回例外的に乗り越えられても、基本的にそこで挫折する性質自体には大きな影響はないだろう。
今まで好きなら誰よりもうまくなれるもんだと思ってたよ。
冷静に考えたら、上にいけばいくほど好きな奴ばっかりが残っていくんだから、重要なのは時間と効率だよな。極端に言えば練習および教育プログラム次第。個人の能力でいえば、それを妨げる能力を持っていればすべて基本的にマイナス要因。なんか考え方がどんどんオリンピックの選手育てるのと同じようになっていくなぁ。
今もまたそういう一歩複雑というか上のレベルへ入りかかってるところ。例によって集中して練習できないからそこで挫折してしまいかねない。ここ2 週間ほどの練習が山場だな。ここを乗り越えられなかったらもう一生ダメだろうし、今回例外的に乗り越えられても、基本的にそこで挫折する性質自体には大きな影響はないだろう。


