評判どおりイーストウッドの硫黄島の戦い2部作は良かった。
最近の作品で言えばバンドオブブラザーズよりはるかにいい。昔のドイツとかフランスなんかの、レジスタンスとか戦争に翻弄される人たちを描いた映画に通ずる物がある。ハリウッド映画としては120点をあげたい。映画一般で言えばまぁなんというか、エンターテイメント、それの主目的である金儲けと映画による告発のバランスを取った落としどころと言うしかないなぁ。
僕は日本側の硫黄島からの手紙を最初に観て、それから父親たちの星条旗と、これらの映画の封切順とは逆にみたんだけど、物語としては僕の観方の方がいいと思う。というのも、父親たちの星条旗の方が、メッセージが明解で、逆に日本側は、「父親たちの戦った相手もまた父親たちなんだよ」的なメッセージが主(らしいので)で、…星条旗よりドキュメンタリー的なので、先に前座として硫黄島の戦いを一通り観てから、アメリカ側を観る形になるのではないかと。
『らしいので』と書いたのは、他のひとたちのレビューなんかを参考にした結果。個人的にはもっといろいろ発見したんだけどなぁ。
日本側の視点から撮影された硫黄島からの手紙は、栗林中将とバロン西を偶像的に描いている。
父親たちの星条旗では、擂鉢山に星条旗を最初に掲げたことにされて、実際にヒーローとして、偶像として祭り上げられた生き残りの3人の人生を悲劇的に描く。テーマは戦争とヒーローの蜜月の関係の告発に他ならない。
日本側はほぼ時系列に沿った展開で、対してアメリカ側は戦後の生き残りである英雄たちのフラッシュバックという形と帰国後の彼らが入り乱れる形で流れる。
硫黄島の戦いのドキュメンタリーとしては、鎮魂・硫黄島という日米共同の優れた作品があるけれども、実際の戦闘の中で人が惨めに死にゆく瞬間を捉えた映像がないという戦争記録映画を利用したドキュメンタリーの最大の欠点を、この映画は映画らしい方法で補っている。アメリカ側視点の方の最後の方で、日本側の作品で自決した部隊の惨状が映し出されるが、スプラッター映画並の哀れな姿をちゃんと表現してある。
どちらも悲劇として描いているが、当然アメリカからも味方からも殺され、全滅に追いやられるまさに決死状態の日本の方が、状況が悪すぎるゆえの深刻な悲壮感が漂っているのは言うまでもない。それでも大勢が戦う前に、赤痢などの病気で戦闘不能になっていたという描写は不足していたと思うし、実際の彼らの生存環境はもっと悪かったと想像するけど。とにもかくにも、あれほど惨めな生存環境に追いやった日本の罪は重すぎる。小泉さん、あなたはせめて一度、この環境で生き延びてから特攻隊に感動しましょう。
そして僕自身が日本人で、日本側の悲惨さにより同情することもあるんだろうけど、やはりアメリカ側の戦闘風景の緊迫感は比較的薄い。とはいえ、前線の兵士たちにはやはり惨めな環境であることには変わりないことは、この映画はそれなりに描き出せている。しかもアメリカ側も戦争だから連れてこられた、一般人だ。もちろん訓練はされていただろうし、その過程でそれなりの覚悟と戦争の非常さに対する無感覚を教育されてきただろうが。僕がこの映画がバンドオブブラザーズよりいいと思うのは特にこの点だ。
しかし、島嶼における、やっぱりこの手の綿密な持久戦って、あれだけの戦力差があっても楽勝とは行かないんだということにも気がつく。その上まったく補給もない状態、作戦は下士官の暴走などで幾度も失敗している中であれだけの戦果が出せたとならば、防衛一方になった1943年の最初からそうやっておけば(まぁそういう柔軟な例がないわけではないのだが)、つまり日本の軍社会にもっと理性と言うものが幅を効かせる余地があったならば、歴史はずいぶんと違う形になっていただろうと思う。
こうしたアンチ・ヒーロー映画を、ハリウッドというヒーローと偶像で成り立っている世界で、超一流俳優としてだけでなく監督として偶像と化すことによって、身を立ててきた、クリント・イーストウッドの名で出すというのもおもしろい。
この映画の至る所で、戦争の現実を伝える上で、抑えておきたかった箇所は何としてでも入れておきたかったという意志が見て取れる。
第一部の航空機の爆撃にしても、「こりゃ爆弾からは逃げようと思って、逃げられるもんじゃないな」と思わせるシーンを一つ盛り込んである。映像は CG映像だと丸分かりだし、どことなくパールハーバーを思いおこさせるんだけれども、ネガティブな評価にならないのは、この作品に肯定できる形の一貫性が存在するからだろう。
戦場の音、そしてその他の音に関しても、良くできていると思う。もちろんこれはハリウッド映画であり、他の映画と違いなくエンターテイメントとして情動的誘導のための音の役割を与えられているわけだけど、この映画に於いては、音の構成は、すべてアンチ・ヒロイズムに集中されていると思う。それがこの映画の、どちらにとっても悲劇的な物語という性格を決定付けている。この映画自身、戦争は否定しない。アメリカがなぜ戦っているのか、日本がなぜ戦っているのか、なぜ戦争をしなければいけないのか、そこには深入りしない。ただ、第二部に於いて、戦争に於けるヒロイズムを否定しようとしているだけだ。
日本側を映し出す第一部では、硫黄島戦のエピソードを総合して淡々と描いている。
こちらはまるで、日本でかつて製作された硫黄島というドキュメンタリーを映画として見ているような気がした。取り上げられているエピソードがかなり重複しているからかもしれない。悲壮感と絶望の中でも淡々と任務をこなし、アホな上官の命令の中、次々と無駄死にしていくという大和魂の真骨頂と限界を主人公的な人物を通して見事に描き、アホ上官と対置する栗林中将および西竹市などのヒーロー的上官がいる。。それら、理性や良心を見せる人物たちもこの戦争や当時の日本に対し、部分的に冷めた面を持ちながら、やはり当時の通念や教育によって日本軍人としての本懐を遂げようとする面も持っていた点もしっかりと描き出している。史実と同様、彼ら上官の厳命する持久戦術は、いたずらに勇猛で、盲目的で、狂信的であることを煽る、当時の日本の教育を受けている下士官たちの反発を受け、方々で崩壊し、無駄に兵士達は死んで行き、また自分たちの死期も早めさえもした。
もっとも、彼らが信じようとした、本土やそこにいる家族や同胞、あるいは国体を守るために持久戦を続けて伸びた本土侵攻に何か有意義な意味があったという保証はないし、太平洋戦争自体、軍部と官僚の国内掌握による暴走のツケである以上、そこにどんな後付けの理由を付けても、彼らが自分たちの犠牲を持ってそのツケの一部を払わされたということを変えることは出来ないわけだが。
戦術も、戦略も、教育も、倫理もすべてが狂っていた日本の描写が硫黄島という舞台のもと、延々と2時間ほど続く。
最近の作品で言えばバンドオブブラザーズよりはるかにいい。昔のドイツとかフランスなんかの、レジスタンスとか戦争に翻弄される人たちを描いた映画に通ずる物がある。ハリウッド映画としては120点をあげたい。映画一般で言えばまぁなんというか、エンターテイメント、それの主目的である金儲けと映画による告発のバランスを取った落としどころと言うしかないなぁ。
僕は日本側の硫黄島からの手紙を最初に観て、それから父親たちの星条旗と、これらの映画の封切順とは逆にみたんだけど、物語としては僕の観方の方がいいと思う。というのも、父親たちの星条旗の方が、メッセージが明解で、逆に日本側は、「父親たちの戦った相手もまた父親たちなんだよ」的なメッセージが主(らしいので)で、…星条旗よりドキュメンタリー的なので、先に前座として硫黄島の戦いを一通り観てから、アメリカ側を観る形になるのではないかと。
『らしいので』と書いたのは、他のひとたちのレビューなんかを参考にした結果。個人的にはもっといろいろ発見したんだけどなぁ。
日本側の視点から撮影された硫黄島からの手紙は、栗林中将とバロン西を偶像的に描いている。
父親たちの星条旗では、擂鉢山に星条旗を最初に掲げたことにされて、実際にヒーローとして、偶像として祭り上げられた生き残りの3人の人生を悲劇的に描く。テーマは戦争とヒーローの蜜月の関係の告発に他ならない。
日本側はほぼ時系列に沿った展開で、対してアメリカ側は戦後の生き残りである英雄たちのフラッシュバックという形と帰国後の彼らが入り乱れる形で流れる。
硫黄島の戦いのドキュメンタリーとしては、鎮魂・硫黄島という日米共同の優れた作品があるけれども、実際の戦闘の中で人が惨めに死にゆく瞬間を捉えた映像がないという戦争記録映画を利用したドキュメンタリーの最大の欠点を、この映画は映画らしい方法で補っている。アメリカ側視点の方の最後の方で、日本側の作品で自決した部隊の惨状が映し出されるが、スプラッター映画並の哀れな姿をちゃんと表現してある。
どちらも悲劇として描いているが、当然アメリカからも味方からも殺され、全滅に追いやられるまさに決死状態の日本の方が、状況が悪すぎるゆえの深刻な悲壮感が漂っているのは言うまでもない。それでも大勢が戦う前に、赤痢などの病気で戦闘不能になっていたという描写は不足していたと思うし、実際の彼らの生存環境はもっと悪かったと想像するけど。とにもかくにも、あれほど惨めな生存環境に追いやった日本の罪は重すぎる。小泉さん、あなたはせめて一度、この環境で生き延びてから特攻隊に感動しましょう。
そして僕自身が日本人で、日本側の悲惨さにより同情することもあるんだろうけど、やはりアメリカ側の戦闘風景の緊迫感は比較的薄い。とはいえ、前線の兵士たちにはやはり惨めな環境であることには変わりないことは、この映画はそれなりに描き出せている。しかもアメリカ側も戦争だから連れてこられた、一般人だ。もちろん訓練はされていただろうし、その過程でそれなりの覚悟と戦争の非常さに対する無感覚を教育されてきただろうが。僕がこの映画がバンドオブブラザーズよりいいと思うのは特にこの点だ。
しかし、島嶼における、やっぱりこの手の綿密な持久戦って、あれだけの戦力差があっても楽勝とは行かないんだということにも気がつく。その上まったく補給もない状態、作戦は下士官の暴走などで幾度も失敗している中であれだけの戦果が出せたとならば、防衛一方になった1943年の最初からそうやっておけば(まぁそういう柔軟な例がないわけではないのだが)、つまり日本の軍社会にもっと理性と言うものが幅を効かせる余地があったならば、歴史はずいぶんと違う形になっていただろうと思う。
こうしたアンチ・ヒーロー映画を、ハリウッドというヒーローと偶像で成り立っている世界で、超一流俳優としてだけでなく監督として偶像と化すことによって、身を立ててきた、クリント・イーストウッドの名で出すというのもおもしろい。
この映画の至る所で、戦争の現実を伝える上で、抑えておきたかった箇所は何としてでも入れておきたかったという意志が見て取れる。
第一部の航空機の爆撃にしても、「こりゃ爆弾からは逃げようと思って、逃げられるもんじゃないな」と思わせるシーンを一つ盛り込んである。映像は CG映像だと丸分かりだし、どことなくパールハーバーを思いおこさせるんだけれども、ネガティブな評価にならないのは、この作品に肯定できる形の一貫性が存在するからだろう。
戦場の音、そしてその他の音に関しても、良くできていると思う。もちろんこれはハリウッド映画であり、他の映画と違いなくエンターテイメントとして情動的誘導のための音の役割を与えられているわけだけど、この映画に於いては、音の構成は、すべてアンチ・ヒロイズムに集中されていると思う。それがこの映画の、どちらにとっても悲劇的な物語という性格を決定付けている。この映画自身、戦争は否定しない。アメリカがなぜ戦っているのか、日本がなぜ戦っているのか、なぜ戦争をしなければいけないのか、そこには深入りしない。ただ、第二部に於いて、戦争に於けるヒロイズムを否定しようとしているだけだ。
日本側を映し出す第一部では、硫黄島戦のエピソードを総合して淡々と描いている。
こちらはまるで、日本でかつて製作された硫黄島というドキュメンタリーを映画として見ているような気がした。取り上げられているエピソードがかなり重複しているからかもしれない。悲壮感と絶望の中でも淡々と任務をこなし、アホな上官の命令の中、次々と無駄死にしていくという大和魂の真骨頂と限界を主人公的な人物を通して見事に描き、アホ上官と対置する栗林中将および西竹市などのヒーロー的上官がいる。。それら、理性や良心を見せる人物たちもこの戦争や当時の日本に対し、部分的に冷めた面を持ちながら、やはり当時の通念や教育によって日本軍人としての本懐を遂げようとする面も持っていた点もしっかりと描き出している。史実と同様、彼ら上官の厳命する持久戦術は、いたずらに勇猛で、盲目的で、狂信的であることを煽る、当時の日本の教育を受けている下士官たちの反発を受け、方々で崩壊し、無駄に兵士達は死んで行き、また自分たちの死期も早めさえもした。
もっとも、彼らが信じようとした、本土やそこにいる家族や同胞、あるいは国体を守るために持久戦を続けて伸びた本土侵攻に何か有意義な意味があったという保証はないし、太平洋戦争自体、軍部と官僚の国内掌握による暴走のツケである以上、そこにどんな後付けの理由を付けても、彼らが自分たちの犠牲を持ってそのツケの一部を払わされたということを変えることは出来ないわけだが。
戦術も、戦略も、教育も、倫理もすべてが狂っていた日本の描写が硫黄島という舞台のもと、延々と2時間ほど続く。
低放射線量、がん死高率…非被爆者の2.7倍も
やっと出たか。
この手の放射線の影響については研究が不足しているという話を、医者や研究者などがちらほら言っているのを聞くけど、この研究の意義は大きい。
ただ、この記事は問題だ。線量が記されているが、期間が書かれていない。まぁ多分年間被曝線量だろうけど。
が、まぁ国は決して認めないだろう。何れにせよ低線量放射線が危険な事が分かると、
全部の原発と、例の危ない再処理工場を閉鎖しなきゃいけなくなるほうにどんどん傾いていくから。
再処理工場に至っては既にもう極低線量ですらないぞなもし。
まぁ国際人間どこまでアホになれるのかの競争で、優勝目指して突っ走るわれらの代表、日本政府は理屈で動かないのが常なので、たとえこれを認めてもそんなことにはならないだろうけど、原発廃止に向けて舵を切り兼ねないのはちげぇねぇ。
たすけてドラえもーん!
やっと出たか。
この手の放射線の影響については研究が不足しているという話を、医者や研究者などがちらほら言っているのを聞くけど、この研究の意義は大きい。
ただ、この記事は問題だ。線量が記されているが、期間が書かれていない。まぁ多分年間被曝線量だろうけど。
が、まぁ国は決して認めないだろう。何れにせよ低線量放射線が危険な事が分かると、
全部の原発と、例の危ない再処理工場を閉鎖しなきゃいけなくなるほうにどんどん傾いていくから。
再処理工場に至っては既にもう極低線量ですらないぞなもし。
まぁ国際人間どこまでアホになれるのかの競争で、優勝目指して突っ走るわれらの代表、日本政府は理屈で動かないのが常なので、たとえこれを認めてもそんなことにはならないだろうけど、原発廃止に向けて舵を切り兼ねないのはちげぇねぇ。
たすけてドラえもーん!
麻生氏「ナチス発言」で舌禍
昭和の陛下は草葉の陰で、『あっそう』と嘆いておられるやも存じませぬ。何のためにアメリカに媚を売ってまで天皇家を存続させたのか、と。すべては我々下々の者の困窮に心を痛められたからでありました。同時に陛下は日本中の都市が灰になるまで、ご自身の配下でありやはり民草である高級軍人共の乱心をお止めになられなかったほど民草思いの神であられましたので、やはりここはアベシんぞう氏が陛下のお気持ちを察して、臣民想いの政策に立ち返らなかったことで、靖国の英霊ともども浮かばれなかったのではなかろうかと危惧しております、閑話休題。
日本の行政や社会は、
「飲んだくれで、競馬に収入のほとんどをつぎ込み大損を出し続け、あまつさえ家族に文句を言わせない、家族の要求も聞かない暴力オヤジ」
なんだということです。オーマイガッ!先進国なのに(だったのに)、格差がほとんどないとされていたのに、いつも住環境が貧しかった理由が良く分かった。まぁ民草てぇのはバカがつくほどお人好しと言うのは、少なくともこの国ではまんざら大ハズレでもないのでしょう。こんなことをいうとひょっとして、温情で許可をいただいている渡航拒否とか、帰国後暖かいいじ…教育の機会をいただけるのでしょうか。教育は大切ですからね。無教養な僕がタダで大学にいける援助をしてほしいものです。
いずれにせよ、上のリンクで話題の人が若者に人気な国ですしね。何言っても虚しいだけか。あべナチスしんぞうとか、ゴエッベルスいさお秘書官にシャハトへいぞう経財相を抱えたこいずみヒューラー=エルヴィスじゅんいちろうといった、新自由指導者原理に萌えた元指導者達が同僚にいることを忘れているのでしょうかこのおじさんは。マンガ好きだそうですが、まだまだ萌えが足りませんね。読んでるのはひょっとして少年モノだけなのですかああそうですか。
参考資料
あべしんぞう「私のために日本がある」
http://images.uncyc.org/ja/5/56/Bkn_5c69538e3bb1e921_m.jpg
昭和の陛下は草葉の陰で、『あっそう』と嘆いておられるやも存じませぬ。何のためにアメリカに媚を売ってまで天皇家を存続させたのか、と。すべては我々下々の者の困窮に心を痛められたからでありました。同時に陛下は日本中の都市が灰になるまで、ご自身の配下でありやはり民草である高級軍人共の乱心をお止めになられなかったほど民草思いの神であられましたので、やはりここはアベシんぞう氏が陛下のお気持ちを察して、臣民想いの政策に立ち返らなかったことで、靖国の英霊ともども浮かばれなかったのではなかろうかと危惧しております、閑話休題。
日本の行政や社会は、
「飲んだくれで、競馬に収入のほとんどをつぎ込み大損を出し続け、あまつさえ家族に文句を言わせない、家族の要求も聞かない暴力オヤジ」
なんだということです。オーマイガッ!先進国なのに(だったのに)、格差がほとんどないとされていたのに、いつも住環境が貧しかった理由が良く分かった。まぁ民草てぇのはバカがつくほどお人好しと言うのは、少なくともこの国ではまんざら大ハズレでもないのでしょう。こんなことをいうとひょっとして、温情で許可をいただいている渡航拒否とか、帰国後暖かいいじ…教育の機会をいただけるのでしょうか。教育は大切ですからね。無教養な僕がタダで大学にいける援助をしてほしいものです。
いずれにせよ、上のリンクで話題の人が若者に人気な国ですしね。何言っても虚しいだけか。あべナチスしんぞうとか、ゴエッベルスいさお秘書官にシャハトへいぞう経財相を抱えたこいずみヒューラー=エルヴィスじゅんいちろうといった、新自由指導者原理に萌えた元指導者達が同僚にいることを忘れているのでしょうかこのおじさんは。マンガ好きだそうですが、まだまだ萌えが足りませんね。読んでるのはひょっとして少年モノだけなのですかああそうですか。
参考資料
あべしんぞう「私のために日本がある」
http://images.uncyc.org/ja/5/56/Bkn_5c69538e3bb1e921_m.jpg
つい先日のエントリーで紹介したアメリカ反骨大統領候補マイクグラベルですが、僕が記事を書いた翌日、5月26日にリバータリアン党予備選挙で大統領候補指名を受けられなかったため大統領選挙を辞退することを発表しました。彼より十全な資金力も支持基盤もある候補が次々と脱落を表明していった中で、ほとんど怒りと維持で選挙活動を続けていた彼ですが、これをもって政治家としても引退するそうです。今後は怒りと使命を生涯執筆活動にぶつけるとのことですが、アメリカの政治をやめられない以上、だれかが大統領につくことを止められない以上、彼になってほしかったというのが僕の思いです。それ以外ならだれでもいいやってぐらい選挙に希望を持ってないのですが。
一般市民におそらく最も近い視点で発言を続ける彼のような人がほとんど無視され続け、まるでオバマとヒラリーが主食、マケインがおかず、ロンポールは漬け合わせという印象を与える報道に、アメリカ社会の根深さが見えます。
彼ほどのリバータリアンがリバータリアン党にいるのでしょうか。
直接民主制に代表される彼の発言が示したように、大統領候補たちの中では彼こそが最もそうであったと思いますがね。
とにかく興味の尽きないマイクじいさんに機会があったらインタビューしてみます。
一般市民におそらく最も近い視点で発言を続ける彼のような人がほとんど無視され続け、まるでオバマとヒラリーが主食、マケインがおかず、ロンポールは漬け合わせという印象を与える報道に、アメリカ社会の根深さが見えます。
彼ほどのリバータリアンがリバータリアン党にいるのでしょうか。
直接民主制に代表される彼の発言が示したように、大統領候補たちの中では彼こそが最もそうであったと思いますがね。
とにかく興味の尽きないマイクじいさんに機会があったらインタビューしてみます。


