以前の日記に書いた借りてきたDVD、「シュピーゲルTVヒストリー・カラーで見る第三帝国 1937-1945」を観た。
104分まるまる総天然色のNS時代が映し出される。
白黒に比べると、気持ち悪いぐらいリアルだ。
ヨーロッパは街の中心とか郊外の風景が、日本ほど当時との差がないせいもあって、とても60年以上前の映像とは思えない物も多数収録されている。
今までカラーのNS時代のものなんてほんの数カットしか観たことなかったので、結構ショックだ。ニュルンベルク党大会の映像とか、何にもない広大な空き地に十万人が整列してるという、とんでもなく壮大な光景だが、良く考えたらこの前行ったラブパレードは150万人以上が訪れてるんだよね。そう考えると大したことないなぁ。党大会に向けて軍が野営した、郊外の森なんかは今でもかなりの部分が残っているのを自分で見たことがあるだけに、このカラー映像は気持ち悪いぐらい現実味がある。
ユダヤ系商店の壁の落書きなんかもカラー。ヒトラーもムッソリーニもハーケンクロイツ旗もみんなカラー。ナチスの旗ってかなり品質良かったんだね。60年前の品質じゃ結構ボロいのかと思ってたら。
まとめると、やっぱり気持ち悪い。この気持ち悪いほど隅々まで行き渡ったファシズム社会から1945年を境に、一挙に標準的な西洋的民主社会になったというのが信じられん。
さすがにこんな時代が再び来ることはないだろうけど、形を変えたファシズムはほらもう…
気がついたら気持ち悪いを連発してるな。それほど気持ち悪かった。
104分まるまる総天然色のNS時代が映し出される。
白黒に比べると、気持ち悪いぐらいリアルだ。
ヨーロッパは街の中心とか郊外の風景が、日本ほど当時との差がないせいもあって、とても60年以上前の映像とは思えない物も多数収録されている。
今までカラーのNS時代のものなんてほんの数カットしか観たことなかったので、結構ショックだ。ニュルンベルク党大会の映像とか、何にもない広大な空き地に十万人が整列してるという、とんでもなく壮大な光景だが、良く考えたらこの前行ったラブパレードは150万人以上が訪れてるんだよね。そう考えると大したことないなぁ。党大会に向けて軍が野営した、郊外の森なんかは今でもかなりの部分が残っているのを自分で見たことがあるだけに、このカラー映像は気持ち悪いぐらい現実味がある。
ユダヤ系商店の壁の落書きなんかもカラー。ヒトラーもムッソリーニもハーケンクロイツ旗もみんなカラー。ナチスの旗ってかなり品質良かったんだね。60年前の品質じゃ結構ボロいのかと思ってたら。
まとめると、やっぱり気持ち悪い。この気持ち悪いほど隅々まで行き渡ったファシズム社会から1945年を境に、一挙に標準的な西洋的民主社会になったというのが信じられん。
さすがにこんな時代が再び来ることはないだろうけど、形を変えたファシズムはほらもう…
気がついたら気持ち悪いを連発してるな。それほど気持ち悪かった。
市立図書館がDVDも貸し出しているので利用することにした。
何百本とあるんだけど、置いている作品が古い映画と、休暇を利用した旅行大国ドイツなだけあって、世界各地の旅風景のDVDが中心なのが、ここがレンタルDVD屋ではないことを思い出させてくれる。
とはいえ、どういう基準で選んでいるのか分からないが、比較的最近の作品もいくつか置いている。数は少ないが。
前回借りたのは
クリント・イーストウッド監督、硫黄島からの手紙
伝説のソ連時代の人形劇・チェブラーシカ(結局時間がなくて見れなかったが)
他、量子力学の一般知識のドキュメンタリーDVD。不確定性原理と我々の日常のつながりが今まで観た中で、あるいは読んだ中で一番わかりやすい作品だった。
DVD mit der Maus
今回借りたのは
クリント・イーストウッド監督、父親たちの星条旗
博士の異常な愛情
裸の銃を持つ男
シュピーゲルTVヒストリー、カラーで観るナチス第三帝国
今回日本で観たいと思って結局機会のなかった、ショアーを借りようと思ったら、Disc1だけが貸し出し中だったので断念。
評判どおりイーストウッドの硫黄島の戦い2部作は良かった。
最近の作品で言えばバンドオブブラザーズよりはるかにいい。昔のドイツとかフランスなんかの、レジスタンスとか戦争に翻弄される人たちを描いた映画に通ずる物がある。ハリウッド映画としては120点をあげたい。映画一般で言えばまぁなんというか、エンターテイメント、それの主目的である金儲けと映画による告発のバランスを取った落としどころと言うしかないなぁ。
だけど、それでも観る価値のある優れた映画だと思うので、詳細は別に書きます。
と、ん?比較的古い作品ばっかりだが、なんか見覚えのあるタイトルの作品を発見。
Das Restaurant am Ende des Universums?(宇宙辺境のレストラン?)
あぁ、これはあの伝説のSF、モンティパイソンと並ぶ英国コメディの超傑作、The Restaurant at the End of the Universeじゃないですか。こんなところで出会ったのも何かの縁、こりゃ借りるしかない、と借りたのはいいんだけど、ディスクが傷物らしく再生してくれない。意地でも観たいぞ、この名作。そういえばこれの原作読んでみたいと思っててすっかり忘れてた。
とはいえ図書館の共用品に歯磨き粉を付けるのもなんだしなぁ。どうしてくれようか。
今後も、せっかくだから昔の傑作を借りて観ようかと思ってるけど、知識がないので眺めるだけで終わってしまう。みなさんおすすめがあったら教えてください。
何百本とあるんだけど、置いている作品が古い映画と、休暇を利用した旅行大国ドイツなだけあって、世界各地の旅風景のDVDが中心なのが、ここがレンタルDVD屋ではないことを思い出させてくれる。
とはいえ、どういう基準で選んでいるのか分からないが、比較的最近の作品もいくつか置いている。数は少ないが。
前回借りたのは
クリント・イーストウッド監督、硫黄島からの手紙
伝説のソ連時代の人形劇・チェブラーシカ(結局時間がなくて見れなかったが)
他、量子力学の一般知識のドキュメンタリーDVD。不確定性原理と我々の日常のつながりが今まで観た中で、あるいは読んだ中で一番わかりやすい作品だった。
DVD mit der Maus
今回借りたのは
クリント・イーストウッド監督、父親たちの星条旗
博士の異常な愛情
裸の銃を持つ男
シュピーゲルTVヒストリー、カラーで観るナチス第三帝国
今回日本で観たいと思って結局機会のなかった、ショアーを借りようと思ったら、Disc1だけが貸し出し中だったので断念。
評判どおりイーストウッドの硫黄島の戦い2部作は良かった。
最近の作品で言えばバンドオブブラザーズよりはるかにいい。昔のドイツとかフランスなんかの、レジスタンスとか戦争に翻弄される人たちを描いた映画に通ずる物がある。ハリウッド映画としては120点をあげたい。映画一般で言えばまぁなんというか、エンターテイメント、それの主目的である金儲けと映画による告発のバランスを取った落としどころと言うしかないなぁ。
だけど、それでも観る価値のある優れた映画だと思うので、詳細は別に書きます。
と、ん?比較的古い作品ばっかりだが、なんか見覚えのあるタイトルの作品を発見。
Das Restaurant am Ende des Universums?(宇宙辺境のレストラン?)
あぁ、これはあの伝説のSF、モンティパイソンと並ぶ英国コメディの超傑作、The Restaurant at the End of the Universeじゃないですか。こんなところで出会ったのも何かの縁、こりゃ借りるしかない、と借りたのはいいんだけど、ディスクが傷物らしく再生してくれない。意地でも観たいぞ、この名作。そういえばこれの原作読んでみたいと思っててすっかり忘れてた。
とはいえ図書館の共用品に歯磨き粉を付けるのもなんだしなぁ。どうしてくれようか。
今後も、せっかくだから昔の傑作を借りて観ようかと思ってるけど、知識がないので眺めるだけで終わってしまう。みなさんおすすめがあったら教えてください。
もちろんクールビズ程度で済む話ではないし、効果の薄いサマータイムをやる程度で済む話でもありません。
そしてそれは様々な環境問題を同時に解決するか和らげる方向になるのが好ましい。人間の安全で健康で平等な生活に高い優先順位を与えるべきです。
都市により多くの緑が必要です。少なくとも今よりずっと多くの緑が。南の地域では歩道は木によって日射を遮られるようにする必要があるでしょう。冬はちょっと寒いのが欠点ですが。
まとまった緑地を確保できるよう法整備が必要でしょう(ただし地上げは誰も認めるべきではありませんし、主役はあくまでも国民です)、緑の代わりにフェンスだの信号に標識、融通の効かない道路設計、都市設計など渋滞を促進し、コンクリートの原野を作り出す道路行政を警察から取り上げなければいけません。道路には、とりわけ渋滞している都市部ではもっと車を入れなくするべきで車のための道路を人のための道路に改良する必要があります。
都市設計は最低でも常にその地域で保有されている車の台数を重視して設計されるべきで、街の中心では、最大流入台数を基礎に駐車スペースが確保されなければなりません。それに満たない都市設計は失格となるでしょう。ただし車の必要性が最小になる社会ほど好ましいものはありません。こちらの方が重要です。おそらく大都市より中小規模の都市の方が効率がいいことが明らかとなるでしょう。
そのためには公共交通機関の再編成が必要で、予算の比率を車重視から公共交通機関中心に変えるべきです。言うまでもなく、この話は飛行機や新幹線の話ではありありません。また、これは安くて便利でなければ望むほど利用はされないでしょう。安価で優れた公共交通機関は貧富の差による移動する権利の不平等をある程度打ち消します。無料の交通機関、あるいは極めて安価な公共交通機関、少なくとも貧困層には無料ないし極めて安価な形態にするべきでしょう。
自転車道ネットワークは事故を減らし、利用者を増やすでしょう。道路から車を追い出す、あるいは制限して生まれるスペースの余裕を使えば、ぎちぎちの日本の都市でも整備可能ということが判明するでしょう。対面通行における右折を以下に防ぐかは効率の面でも安全の面でもさらに重要視されるようになるでしょう。駐輪場は至る所に確保されるべきで、いわゆる路駐も車、自転車ともに最大限認められるべきです。各公共交通機関には自転車をある程度積み込めるようにするのが好ましい。こうすることによって自転車と公共交通期間は競合するのでなく、より補完し合う関係になることができます。今より路面電車や地下鉄の運用を自由にすべきで、監視すべきは不正運用と予算超過です。
ピーク電力需要と重なる時間帯には、人々の昼寝をする権利が保証されるべきです。強制なんかはもってのほか。スーツの強制着用は犯罪行為だということにそろそろ気づくべきでしょう。
中央政府が全国の自治体すべてをこのことで管理するのはよくありません。自分たちの地域の事をより良く知っているのは地元住民と各自治体であり、彼らの自立を促す点においてのみ政府の役割らしきものがあるだけです。
以上の案は全体のほんの一部ですが、この時点でももちろん日本に以上の改良財政的余裕はありません。やるなら、現状の公共工事、防衛予算、自治体への補助金、先のない原発への投資、使途不明金などを使うより他はないでしょう。心配することはありません。これらは国家予算の大部分なのですから。日本にはまだ今のところ、社会基盤の改良への豊富な財源があることになります。
そしてそれは様々な環境問題を同時に解決するか和らげる方向になるのが好ましい。人間の安全で健康で平等な生活に高い優先順位を与えるべきです。
都市により多くの緑が必要です。少なくとも今よりずっと多くの緑が。南の地域では歩道は木によって日射を遮られるようにする必要があるでしょう。冬はちょっと寒いのが欠点ですが。
まとまった緑地を確保できるよう法整備が必要でしょう(ただし地上げは誰も認めるべきではありませんし、主役はあくまでも国民です)、緑の代わりにフェンスだの信号に標識、融通の効かない道路設計、都市設計など渋滞を促進し、コンクリートの原野を作り出す道路行政を警察から取り上げなければいけません。道路には、とりわけ渋滞している都市部ではもっと車を入れなくするべきで車のための道路を人のための道路に改良する必要があります。
都市設計は最低でも常にその地域で保有されている車の台数を重視して設計されるべきで、街の中心では、最大流入台数を基礎に駐車スペースが確保されなければなりません。それに満たない都市設計は失格となるでしょう。ただし車の必要性が最小になる社会ほど好ましいものはありません。こちらの方が重要です。おそらく大都市より中小規模の都市の方が効率がいいことが明らかとなるでしょう。
そのためには公共交通機関の再編成が必要で、予算の比率を車重視から公共交通機関中心に変えるべきです。言うまでもなく、この話は飛行機や新幹線の話ではありありません。また、これは安くて便利でなければ望むほど利用はされないでしょう。安価で優れた公共交通機関は貧富の差による移動する権利の不平等をある程度打ち消します。無料の交通機関、あるいは極めて安価な公共交通機関、少なくとも貧困層には無料ないし極めて安価な形態にするべきでしょう。
自転車道ネットワークは事故を減らし、利用者を増やすでしょう。道路から車を追い出す、あるいは制限して生まれるスペースの余裕を使えば、ぎちぎちの日本の都市でも整備可能ということが判明するでしょう。対面通行における右折を以下に防ぐかは効率の面でも安全の面でもさらに重要視されるようになるでしょう。駐輪場は至る所に確保されるべきで、いわゆる路駐も車、自転車ともに最大限認められるべきです。各公共交通機関には自転車をある程度積み込めるようにするのが好ましい。こうすることによって自転車と公共交通期間は競合するのでなく、より補完し合う関係になることができます。今より路面電車や地下鉄の運用を自由にすべきで、監視すべきは不正運用と予算超過です。
ピーク電力需要と重なる時間帯には、人々の昼寝をする権利が保証されるべきです。強制なんかはもってのほか。スーツの強制着用は犯罪行為だということにそろそろ気づくべきでしょう。
中央政府が全国の自治体すべてをこのことで管理するのはよくありません。自分たちの地域の事をより良く知っているのは地元住民と各自治体であり、彼らの自立を促す点においてのみ政府の役割らしきものがあるだけです。
以上の案は全体のほんの一部ですが、この時点でももちろん日本に以上の改良財政的余裕はありません。やるなら、現状の公共工事、防衛予算、自治体への補助金、先のない原発への投資、使途不明金などを使うより他はないでしょう。心配することはありません。これらは国家予算の大部分なのですから。日本にはまだ今のところ、社会基盤の改良への豊富な財源があることになります。
■日本人「勤勉続くと思わない」61%…読売調査
(読売新聞 - 07月30日 18:40)
読売の統計から事実を読み取るのは大変ですが、端的に言って日本人の勤勉な傾向とは物価の伸びを大幅に上回る賃金上昇に支えられた戦後の一時期だけの特殊なものだということなのでしょうね。それにしても1984年の時点で既に33%もいたことが気がかりです。既に世界中に新自由主義という金持ちを増殖させる魔法が召喚されていましたからね。
権威を敏感に感じ取り、従順に、無理して頑張って破綻する傾向も強いと思いますし、人間に、しかもなるべくイヤな奴、どうでもいいと思ってる奴に、可能な限り負担をかけるいじめ社会の傾向も強いと思いますがね。これも勤勉さの現れでしょうかなんなんでしょうか。
勤勉はいいとして何に勤め、何を勉強するのかがすっぽり抜け落ちているあたりが素敵だと思います。その抜け落ちたものを拾い集めると、健全ナル心ノ育成ニ勤メ、社会ノ発展ノタメニ勉学ニ励ミなどという、聖書より読みにくい暗号文をウソ発見器にかけながら解読しなければならなくなるので中身が空っぽのままでいてくれるほうがまだいいのでしょう。
勤勉に加え、個人の忍耐と負担を人の都合を考えずに押し付ける手際の良さが、世界に冠たる工業大国日本を育てあげたのかもしれませんね。ハイル・カイザー!
おっとおふざけが過ぎてしまいました。
この場をもって陳謝させていただきます。が、しばらくしたら何食わぬ顔で同じ事を同じ顔ぶれが繰り返すのも日本の美しい伝統でございますので、日本人として畜生の末席を汚させていただいております私めもなんの反省もしておりません。すべては建前でございます。一時期はクレーマーなるものが流行りましたが、やはり日本人は伝統に立ち返りディスクレーマーとなるべきです。
(読売新聞 - 07月30日 18:40)
日本の発展を支えてきた「日本人の勤勉さ」について、これからも続くと思う人は35%にとどまり、そうは思わない人が61%に上ることが、読売新聞社の年間連続調査でわかった。
1984年の調査では、続くと思う人が59%、思わない人が33%だったが、この四半世紀で楽観論と悲観論の比率がほぼ逆転したことになる。
読売の統計から事実を読み取るのは大変ですが、端的に言って日本人の勤勉な傾向とは物価の伸びを大幅に上回る賃金上昇に支えられた戦後の一時期だけの特殊なものだということなのでしょうね。それにしても1984年の時点で既に33%もいたことが気がかりです。既に世界中に新自由主義という金持ちを増殖させる魔法が召喚されていましたからね。
権威を敏感に感じ取り、従順に、無理して頑張って破綻する傾向も強いと思いますし、人間に、しかもなるべくイヤな奴、どうでもいいと思ってる奴に、可能な限り負担をかけるいじめ社会の傾向も強いと思いますがね。これも勤勉さの現れでしょうかなんなんでしょうか。
勤勉はいいとして何に勤め、何を勉強するのかがすっぽり抜け落ちているあたりが素敵だと思います。その抜け落ちたものを拾い集めると、健全ナル心ノ育成ニ勤メ、社会ノ発展ノタメニ勉学ニ励ミなどという、聖書より読みにくい暗号文をウソ発見器にかけながら解読しなければならなくなるので中身が空っぽのままでいてくれるほうがまだいいのでしょう。
勤勉に加え、個人の忍耐と負担を人の都合を考えずに押し付ける手際の良さが、世界に冠たる工業大国日本を育てあげたのかもしれませんね。ハイル・カイザー!
おっとおふざけが過ぎてしまいました。
この場をもって陳謝させていただきます。が、しばらくしたら何食わぬ顔で同じ事を同じ顔ぶれが繰り返すのも日本の美しい伝統でございますので、日本人として畜生の末席を汚させていただいております私めもなんの反省もしておりません。すべては建前でございます。一時期はクレーマーなるものが流行りましたが、やはり日本人は伝統に立ち返りディスクレーマーとなるべきです。
「彼女がいない、この一点で人生崩壊」 秋葉原殺人犯の孤独と苦痛
秋葉原で無差別殺傷、7人死亡 25歳男逮捕「人を殺すために来た」
再発防止策を指示=秋葉原通り魔事件で福田首相
まず心情的な社会的囲い込み、それに失敗すれば姥捨ないし村八分は日本の伝統芸。生活水準がまずしいいままでも、心情的幻想を持たせることによって社会に統合することを可能にする短期的には安上がりな社会支援がモットー。今回も被害者をメディアでの垂れ流しによって、国民に心情的な一体感を持たせる道具として消費し尽した後は、死刑制度によってさっさと姥捨山に捨てておしまい。
貧ずれば窮するのが日本。狭い範囲の仲間内で懐を温めあうときだけそうではない日本。
副産物としてまたわけのわからない明記された、あるいは明記すらされない法律だのルールだの自己規制だの道徳だのが一つ増える。警察の権限獲得ネタがまた一つ。自由で多様な報道は民主社会の証だが、真に自由な社会なら、メディアと社会がこの話の嫌悪感を帯びた”異常性”についてもちきりの中、敢えて”秋葉原電化製品買い物Tips”なり”自暴自棄の若者と出会った場合の護身術:対話”なりをトップ記事にしてはいかがだろうか。我々は厳罰を要求するのではなくて、新しいコミュニケーションの取り方を要求しなくてはいけない。これが条件さえ整えば人を見捨て、合理的に殺せてしまう社会で起こっているまともで正常な反応であることを明らかにしないといけない。
抑圧されたものはそれを覆す機会を伺うのは普通のことで、その機会が抑圧されるものどうしの協力、自分たちのための社会の構築と言う形に結びつけることの難しい、個人の分断された社会、日本では個人でできる最大限の暴発、つまり自殺(も同然の)テロ行為になるのも当たり前。
どうせ、厳罰化だのセラピーの強要や、ちょっとした労働待遇の改善でおしまいにしてしまうんだろうから、先に書いておく。とにかく数を減らして安全な雰囲気を増強したいだけ、ほかのことはどうでもいいということならもう何も言わないが、もしこういう犯罪へ人を導く不安や抑うつ、ストレスを社会から取り去りたいのなら、いかなる種類の新たな抑圧的解決法はそれとは逆行する。それを無理やり権力で抑えつけるのだから、数自体は減るだろうが、より深刻な暴発リスクを取っている可能性は極めて低いのか、高いのか?いや、そんなことよりみんなどんな社会がいいと思ってるんだ?あらゆる個人の要求が可能な社会か、それとも”そんなんじゃ社会は成り立たない”と対話の機会すらない社会で、要求伝達の最終手段である自殺か他殺が安易に選択される社会か?
断言できることがある、彼は”もっと余裕のある人生を”という本当に必要な要求をできずに抑圧された。それを要求することが犯罪的な社会だからこそ抑圧された。そして同じ抑圧社会の中で7人が抑圧的に生きる権利を奪われた。これは被害者は正義、加害者は悪という問題にするべきではない。誰も悪にならない社会が一番いいということに誰が反論できるのか。悪があるとすればそれは人を抑圧するもの、それ自体でありそれを排除すべきだ。
もちろん加害者にも言いたいことはある。
僕は殺人を賞賛することは出来ない。彼は武装した時点で、また死やこれ以上の自由を奪われる覚悟を決めた時点で、自身が一時的に街頭の歩行者に対して強者の立場に反転してしまったことの意味に気がついていない。その強者の立場の行使ということこそ弱者が否定するものだということに。そして、その無自覚ゆえにこれだけ多くの人たちから彼の行為が叩かれる。
僕達が彼にもっと陽気で、ユーモラスな抵抗方法を知らせることが出来ていたら、別の人生があったかもしれない。彼もまた貧ずれば窮するを地で行く社会の産物に見える。もちろん僕自身も。
いや、そんなこともやはりどうでもいい。
どうでもよくないことがただ一つある。もう、こういう人間を生み出して、こういう人間が人を殺し、こういう人間がその代償に殺される。そんな社会はもうたくさんだ。そして、にもかかわらず社会を変える権利を奪う社会ももうたくさんだ。抑圧を跳ね除けようとする人たちをさらに抑圧する社会ももうたくさんだ。
最大の無差別殺人犯は誰か?間違いなくこの社会だ。日本社会は3万人を無差別に(いや、そこには明確な差別がある)自殺させ、数千人を交通事故で殺し、アメリカの茶番に付き合いイラクでの無差別殺人行為(いや、ここにも差別がある)に手を貸し、茶番じみた財政難を理由に貧しい人たちの医療機会を奪い、財界人の幸せを我々の幸せと重ね合わせることによって、過酷な労働条件から過労死に導く。そうでなくとも、この社会には恵まれない労働条件によって深刻な職業病を強要されている人たちが何百万といる。”平和”な日本社会で今回の無差別殺人は極めて例外なのか?
いや、死ぬのはほんの一部のある意味幸せなケースだ。地獄はそこで終わりなのだから。この死者の影により多くの生ける犠牲者がいる。そのことまで考えてこの秋葉原での”無差別殺人”は万死に値する極悪行為あるいは迷惑行為であると断言するのか。
日本に社会と呼べる物があるとすればそういうものだ。ああ鬱くしいな。もう解体してしまおうぜ、こんなもの。
秋葉原で無差別殺傷、7人死亡 25歳男逮捕「人を殺すために来た」
再発防止策を指示=秋葉原通り魔事件で福田首相
まず心情的な社会的囲い込み、それに失敗すれば姥捨ないし村八分は日本の伝統芸。生活水準がまずしいいままでも、心情的幻想を持たせることによって社会に統合することを可能にする短期的には安上がりな社会支援がモットー。今回も被害者をメディアでの垂れ流しによって、国民に心情的な一体感を持たせる道具として消費し尽した後は、死刑制度によってさっさと姥捨山に捨てておしまい。
貧ずれば窮するのが日本。狭い範囲の仲間内で懐を温めあうときだけそうではない日本。
副産物としてまたわけのわからない明記された、あるいは明記すらされない法律だのルールだの自己規制だの道徳だのが一つ増える。警察の権限獲得ネタがまた一つ。自由で多様な報道は民主社会の証だが、真に自由な社会なら、メディアと社会がこの話の嫌悪感を帯びた”異常性”についてもちきりの中、敢えて”秋葉原電化製品買い物Tips”なり”自暴自棄の若者と出会った場合の護身術:対話”なりをトップ記事にしてはいかがだろうか。我々は厳罰を要求するのではなくて、新しいコミュニケーションの取り方を要求しなくてはいけない。これが条件さえ整えば人を見捨て、合理的に殺せてしまう社会で起こっているまともで正常な反応であることを明らかにしないといけない。
抑圧されたものはそれを覆す機会を伺うのは普通のことで、その機会が抑圧されるものどうしの協力、自分たちのための社会の構築と言う形に結びつけることの難しい、個人の分断された社会、日本では個人でできる最大限の暴発、つまり自殺(も同然の)テロ行為になるのも当たり前。
どうせ、厳罰化だのセラピーの強要や、ちょっとした労働待遇の改善でおしまいにしてしまうんだろうから、先に書いておく。とにかく数を減らして安全な雰囲気を増強したいだけ、ほかのことはどうでもいいということならもう何も言わないが、もしこういう犯罪へ人を導く不安や抑うつ、ストレスを社会から取り去りたいのなら、いかなる種類の新たな抑圧的解決法はそれとは逆行する。それを無理やり権力で抑えつけるのだから、数自体は減るだろうが、より深刻な暴発リスクを取っている可能性は極めて低いのか、高いのか?いや、そんなことよりみんなどんな社会がいいと思ってるんだ?あらゆる個人の要求が可能な社会か、それとも”そんなんじゃ社会は成り立たない”と対話の機会すらない社会で、要求伝達の最終手段である自殺か他殺が安易に選択される社会か?
断言できることがある、彼は”もっと余裕のある人生を”という本当に必要な要求をできずに抑圧された。それを要求することが犯罪的な社会だからこそ抑圧された。そして同じ抑圧社会の中で7人が抑圧的に生きる権利を奪われた。これは被害者は正義、加害者は悪という問題にするべきではない。誰も悪にならない社会が一番いいということに誰が反論できるのか。悪があるとすればそれは人を抑圧するもの、それ自体でありそれを排除すべきだ。
もちろん加害者にも言いたいことはある。
僕は殺人を賞賛することは出来ない。彼は武装した時点で、また死やこれ以上の自由を奪われる覚悟を決めた時点で、自身が一時的に街頭の歩行者に対して強者の立場に反転してしまったことの意味に気がついていない。その強者の立場の行使ということこそ弱者が否定するものだということに。そして、その無自覚ゆえにこれだけ多くの人たちから彼の行為が叩かれる。
僕達が彼にもっと陽気で、ユーモラスな抵抗方法を知らせることが出来ていたら、別の人生があったかもしれない。彼もまた貧ずれば窮するを地で行く社会の産物に見える。もちろん僕自身も。
いや、そんなこともやはりどうでもいい。
どうでもよくないことがただ一つある。もう、こういう人間を生み出して、こういう人間が人を殺し、こういう人間がその代償に殺される。そんな社会はもうたくさんだ。そして、にもかかわらず社会を変える権利を奪う社会ももうたくさんだ。抑圧を跳ね除けようとする人たちをさらに抑圧する社会ももうたくさんだ。
最大の無差別殺人犯は誰か?間違いなくこの社会だ。日本社会は3万人を無差別に(いや、そこには明確な差別がある)自殺させ、数千人を交通事故で殺し、アメリカの茶番に付き合いイラクでの無差別殺人行為(いや、ここにも差別がある)に手を貸し、茶番じみた財政難を理由に貧しい人たちの医療機会を奪い、財界人の幸せを我々の幸せと重ね合わせることによって、過酷な労働条件から過労死に導く。そうでなくとも、この社会には恵まれない労働条件によって深刻な職業病を強要されている人たちが何百万といる。”平和”な日本社会で今回の無差別殺人は極めて例外なのか?
いや、死ぬのはほんの一部のある意味幸せなケースだ。地獄はそこで終わりなのだから。この死者の影により多くの生ける犠牲者がいる。そのことまで考えてこの秋葉原での”無差別殺人”は万死に値する極悪行為あるいは迷惑行為であると断言するのか。
日本に社会と呼べる物があるとすればそういうものだ。ああ鬱くしいな。もう解体してしまおうぜ、こんなもの。



